総本部雑感記(其の壱)
合気錬体会総本部
第二代総師範 有満庄司
aiki-rentai@777.nifty.jp
皆様の御意見・御感想をお待ちしております。
いいことでも悪いことでも遠慮なく御寄せ下さい。
平成23年12月24日(土)
その時の状況にもよりますが、主に重要と思えることを挙げてみました。
弛緩力(筋肉制御運動)は訓練さえ正しく行えば時間は掛かっても必ず修得できますが、合気修得だけは保障はありません。
他流他派の合気は合気投げなどの合気技ができることですが、私の言う真之合気とは武術の奥義であり、その人の内部に共生して、共に進化成長するものです。ほかにも羅針盤のように武術の正しい方向を常に指し示してくれます。そして大東流の技法と協調して、その働きを高めてくれるものです。
つまり私の言う合気技とは合気の備わった人が行う武技のことで、合気の備わった人が投げをうてば合気投げ、合気の備わった人が突けば合気突き、蹴れば合気蹴りとなるということです。さらに武器を持てば、合気剣、合気棒、合気杖となるということです。
真之合気は悟れば分かりますが、目にも見えないし触ることもできませんが間違いなく自分の内部に存在します。
そして生き物のように、その人と一緒に成長してくれますから、死ぬまで進化し続けます。
合気を修得できるかの保障はその人の努力と工夫の中にしかありませんが、一生をかける価値はありますよ。
自分の中に至高の宝を得ることですからね。
合気の三大要件
1.集中力
2.イメージ
3.内部感覚
武術の三大要件
1.平常心
2.力まないこと
3.統一体
技の三大要件
1.弛緩力(全身の筋肉制御運動)
2.統一体
3.歩法(足捌き)と手捌き
勝負の三大要件
1.平常心
・
・
・
2.目
3.先と間合い
平成23年12月23日(金)、24日(土)
合気上げもそうですが、稽古が合気之錬体という柔らかい統一体作りに繋がってこなければ駄目です。
単純に技の稽古となっていると、上手くいったいかなかったということで一喜一憂することになります。
これでは進歩しません。
先を見すえて、じっくり体作りをすることです。
年齢に応じて無理せずにできることからやっていきます。
大東流は長年やっていると、時間はかかりますが、それなりに強くなってしまいますから、単純に強くなりたい人にも向いています。(体力に自信があり、即強くなりたければ、格闘技の方が向いてます。)
強さの追求、しかしそれだけではつまらないと思いませんか?
強い人はいくらでもいます。特に若い時は力とスピードで押し切ることも可能ですが、いずれ体力が落ちた時に、やはりより若く力とスピードに秀でた強者に押し切られてしまいます。
それは同じ土俵で勝負しているからですね。
武術は時間はかかりますが、次元の違う戦い方をするのが本当です。
特に弛緩力(呼吸力・勁力)という柔軟な体と頭に伴う柔らかい力の使い方をマスターすれば、年齢や体格に関係なく、一生、武術を楽しむことができます。
これは凄いことですよ。
老人になっても、はるかに年下の若者を相手に範を示すことができます。
これは長い武術史でも少数です。かつてその方々は名人とか達人と呼ばれましたが、大体一代でその達人技は終わってますね。
子供や弟子に伝えるには鍛錬と数稽古しかなかったからです。
昔は情報が少なかったので、どうやればそうなれるのかの方法論が無かったのですね。
現代においては、情報が入手しやすく、少なくとも武術に使う力は単なる腕力ではないというのが常識になりつつあります。
それが弛緩力(筋肉制御運動)です。
その入り口となるのが、表弛緩力の伸筋制御運動です。それは屈筋をなるべく緩めて伸筋を力まず変化させコントロールすることです。
しかし口で言うのは簡単なんですが、突き蹴りはまだしも柔術技で相手に掴まれるとどうしても反射的に力んでしまう人がほとんどです。(笑)
この反射的に力んでしまうのを矯正するには、体作りをすることが大事なんです。
合気之錬体の基礎ができれば、自ずから力まなくなってきますから、そこからある程度の数稽古をすることです。
良循環に入ってしまえば、勝手に上手くなっていくのですが、なかなかそこまで達しないのですね。
平成23年07月10日(日)
今日の講習会の後半で、いつも言っている「正中線を立てる」ということの重要性を身をもって示すために、柔道三段でもあるKさんを相手に柔道組み手での乱取り稽古を行いました。
何でもやって見せるというのが、私の長所の一つでもあります。
それは口で説明して分からないことはやって見せるということが大事だと思うからです。
私は可能な限り口で解説するのですが、どうしても最後の部分は実際にやって見せなければ分からないと思うからです。
武術ですから、やはり最後は自力で体得しなければならないのです。
それに実際に体でパッとやって示せるから、「体之合気」と言えるのです。
「正中線を立てる」ということは、合気之錬体という統一体の最低条件ですから、これは必須です。
その重要性を理解させる為に柔道組み手での乱取り稽古をやって見せたということです。
私は、柔道は体育の授業の一環で週一回やった程度ですから、その柔道の実力はたいしたことは無いです。
それに大東流には、対柔道用に逆手と掴み手があるのですが、それは禁じ手ということで封印してやりました。
まあまあ、言った通りのことを示せたのではないでしょうか。
見てた人は、「面白かった」と言っていましたね。
講習会の前半では、剣道高段者の方が来ておられたので、武器術と無手の体術における「先の技術」を示しました。
剣道の試合は先の取り合いですから、理解しやすかったのではないでしょうか。
錬体会では武器は手の延長という考え方でやっていますので、体術だからこう、武器術だからこう、ということは無いです。
剣道家の方は竹刀や木刀を持つと恐ろしい強さを発揮するのですが、素手だと別人のように力んでしまうところがもったいないですね。
もし素手でも竹刀を持った時のように、自在に体術を使いこなしたら、恐ろしく強い武術家が誕生すると思います。
平成23年05月29日(日)
歩法について
最近の講習会に来られた方には詳しく解説しているのですが、歩法というのは非常に重要です。
人間というのは1歳前後に歩みだした際は非常に不安定なのですが、成長するにつれ安定してきます。
そして安定するにつれ足の筋力をうまく使って歩くようになります。
つまり足のみで蹴って歩くようになるのです。
それが何か悪いのか?と思われる方もいると思うのですが、もちろん日常生活においては何ら問題はありません。
しかし武術においてはあまり効率的とはいえません。
なぜかというと蹴って歩くということは、僅かではあるけれど跳ねてるということです。
跳ねれば重心は浮くし不安定になります。
さらに跳ねている間は身をかわし難くなります。反応が一瞬遅れるのです。
そういったことから、身を守ることに重点を置く武術の観点からは良いとは言えません。
ですから武術では格闘技のようなステップは使わず、すり足または歩み足を使うのです。
それにすり足または歩み足の方が、効率よく重心移動(体重移動)を使えるという利点があります。
すり足または歩み足に関しては、長年武術を修行して出来てると思っている人も実際には中途半端になっていることが多いです。
中途半端にならない為には、特に始めは重心を浮かさないようにしながら、すり足を徹底訓練した方が良いです。
すり足で体幹を移動させることによって、重心移動(体重移動)の感覚を養うのです。
この重心移動(体重移動)の感覚は訓練しない限り、絶対に身につきません。
なぜなら人間は変化を嫌うからです。(たいていの人は切羽詰まらないと変わろうとしません。)
日常生活で何ら不便の無いことをわざわざ変えようとするのですから難しいのです。
また歩法や足捌きの重心のかけ方には流儀の違いがあります。
大東流は主につま先・前足に重心をかけることが多いようです。
太極拳などは踵・後足に重心をかけることが多いようです。
平成23年05月15日(日)
書きたいことはたくさんあるのに、多忙のあまり、結果としてほったらかしになっていて申し訳ありません。
総本部雑感記を楽しみにしてますと言ってくださる方々には、申し訳ない気持ちで一杯です。
実は今年に入ってからも私の合気之錬体レベルは確実に少しずつ上がっています。
でも外見の見た目はなんら変わりは無いように見えます。
というのは合気之錬体というのは外側ではなく内側の鍛錬が大事であるからです。
ですから私の外見は筋肉モリモリというわけではなく、ごく普通の一般の成人男性のそれとなんら変わりはありません。
まあ、少しお腹が出ているくらいです。(^ー^)
護身術レベルでしたら、特にここまで身体を訓練する必要はないのですが、武術として一生修行していくならば、やはり徹底して訓練(鍛錬)する必要があります。
もって生まれたままの身体使いでは武術としてやるには不十分です。
今日の講習会でも、立ち方に始まり歩法・体捌きとやり、その効果の確認(検証稽古)をやると、もう皆さん汗だくでした。
その一つ一つを正確に真剣にやることで、ものすごいエネルギー消費になるのです。
できてしまえばそんなに消費することはないのですが、稽古では日常でのやりなれた生活動作から頭を切り替えて武術に必要な動作を繰り返しますので、なれない動きに神経を使いエネルギーを消費するのです。
その後、静的訓練で「伸張力基礎訓練法」からその応用、そして「上げ手訓練法」を行い、「下げ手訓練法」、さらに手捌き腕捌き、その応用法から合気之錬体という統一体の養成のコツを伝えました。
そして弛緩力(筋肉制御訓練法)の検証稽古を行い、最後に弛緩力とイメージによる打撃訓練を行い終了しました。
私に打たれると軽く打っていても3〜8m位は飛ばされるので、耐え切れないとひっくり返ったり壁に激突するので要注意です。
合気之錬体レベルが上がったことにより弛緩力(筋肉制御運動)が一段と精錬され、また集中力と内部感覚が高まったことによりイメージ力が上がり、そしてそれが具体的に力を持ち始めているのですが、本当に数ヶ月前とは大違いです。
本日、講習会に一年ぶり位にいらした方が、久しぶりに私の技を受けて「本当に凄いですねえ。」と言ってくださったことからも、確信することができました。
また初めていらした二人組の方からも「非常にわかりやすく丁寧に教えていただいて、2人ともとても満足しております。また先生の技のすごさに驚愕致しました。」とお礼のメールをいただきました。
こちらこそ、ありがとうございます。
武術は一生の付き合いですから、先を見据えて体を作っていく必要があるのです。
その場限りの目先の技ができるようになっても実用にはなりません。
得られるのは、その場限りの満足だけです。
実用になるためには、どうしても地力をつける必要があるのです。
地力をつける確実な方法は、合気之錬体という武術の統一体を作り上げることです。
そして統一体を作るコツは、小賢しいテクニックを廃することです。例えば小賢しいテクニックを使って、その場でできてしまえば、その人はそれ以上の向上をやめてしまうからです。
もっと奥に素晴しいものがあるのに、目の前にあるつまらないもので満足してしまう。
これは非常に残念なことです。
それに本当に鍛えた人には小賢しいテクニックは通用しません。
平成23年02月27日(日)
錬体会員の大野さんのジャグリングです。
素晴しいですね。
動画を見て、このスティックに興味を持たれた方は「フラワースティック」か「ストークスティック」で検索してください。
http://youtube.com/watch?gl=JP&client=mv-google&hl=ja&v=kvalwfu8-0s
http://youtube.com/watch?gl=JP&client=mv-google&hl=ja&v=CSiYqgRaOrw
http://youtube.com/watch?gl=JP&client=mv-google&hl=ja&v=-SsviT6TVdw
我々もこの身体操作に学ぶことが多いように感じます。
力ではなく、感覚、集中力、バランス、イメージといったものが重要であるところが錬体会の大東流と共通していますね。
特に武器術とは、その操作に共通点が多いようです。
違うところは、武術の場合、相手が抵抗したり攻撃してきたり逃げたりするところです。
ですから、武術は相手に対する感覚がより鋭敏に求められます。
そしてより多様に変化することが求められます。
そういうこともあり、武術の修行は終わりがないのですね。
一生、道を追求していく姿勢が必要です。
平成23年01月30日(日)
1月9日に自衛隊の習志野演習場で行われた降下訓練始めの式典に参加してきました。
有事に備えて訓練を重ねておられますので、それは素晴しいものでした。
また隊員の方々の真摯な様子を伺う度に、今の不安定な国際情勢の中で、せめて法的にしっかりとした基盤を確立していただきたいと思う次第です。
なんだかんだと平和論を唱えても現実的には軍事力の無い国の言い分は通りにくく、周囲国にもなめられてしまう訳ですから。
UFO(未確認飛行物体)?
降下始めの式典中、空高く上空にフワフワと
浮いている光体を見つけました。
移動したり消えたり現れたりしていましたので、
何だろうと写真に撮ったのですが、青空に白く
光る小さな球体でしたので写っているとは思い
ませんでした。
平成22年09月04日(土)
合気については色々な方が様々な方法で追求されています。
ですから合気の定義が違えば、その合気の技術も違ってくるのは当然といえます。
ただ大東流・合気道をはじめとして合気系武道は武田惣角先生を祖としますので、武田先生の使われた合気原理の流れを汲むものを合気と称しています。
錬体会の合気は、佐川先生の教えと技法を吉丸先生が研究し解明した合気原理を基に発展しつつあるものです。
武田惣角先生→佐川幸義先生→吉丸慶雪先生→有満庄司
さらに別法として、山本角義先生の秘伝奥義技と合気教伝を免状と共に伝承しています。
武田惣角先生→山本角義先生→佐藤金兵衛先生→吉丸慶雪先生→有満庄司
そして更に植芝盛平先生の合気道技法を伝承しています。
武田惣角先生→植芝盛平先生→佐藤金兵衛先生→吉丸慶雪先生→有満庄司
結局、合気をとって根本から分かってしまえばですが、これらに共通するのは「気を合わす」という基本原理です。
ただ伝える先生によってニュアンスや原理技法が違っています。
ですから大東流の合気については、ある程度大東流技法に通じていないと取得できないのではないかと思います。
つまり大東流技法と体捌き等や理念(理念というと大袈裟ですので、大東流とはこういうものという認識で結構です)、これらと表裏一体で切り離せないものです。
最近、合気についてメールをいただきました。
その方は非常に色々と合気について研究されていて努力されておられます。
ただ格闘技やスポーツを含めて運動力学的に研究されておられますので、大東流の立場から見ますとやはり少し違っているようです。
念の為、お断りしておきますが、それが間違っているということでは決してありません。
大東流の合気はやはり大東流の技法に使用できるものでなくてはならないというだけのことです。
そのメールについての返信がよい内容となっていますので、個人情報等を伏せてこちらに載せておきます。
こんにちは。 メールを拝見いたしました。 色々とお考えになったようですね。私も合気をとるまでは色々と試行錯誤していました。 ですから○○さんが合気をこのように考えておられるのでしたら、それはそれで良いと思います。 合気は色々な方がいろいろな考えでチャレンジしてもらって良いのではないでしょうか。 ただ気になったのは、一貫した原理がないことで、これですと相手によってや状況によって技術を変えなければならないことですね。 基本的な原理は不動で単純シンプルなものが良く、発展性がなければなりません。 つまりその原理技術を練習するたびに、体や技術が発達していくものでないと、高齢になった時には使い物にならないのです。 失礼ですが私の体現している合気と比較考察いたします。気を悪くされないでください。気になったところ2点です。 まず「××」の原理ですと、浮力の合気と触れ合気などの説明がつきません。 あとは合気上げですが、上げることだけに特化してもウエイトトレーニング的ですので、体から力みが抜けることがなく体が柔らかく発達してきませんし、それに技術を大東流の技につなげにくいですね。 私には、この2点が気になりました。 もし○○さんの気に触りましたら、申し訳ありません。 この2点の問題も解決できるように工夫されましたら、もっと良い答えが見つかると思います。 合気錬体会総本部 有満庄司 |
平成22年08月29日(日)
私が多忙の為になかなか更新できずに申し訳ありません。
9月には自衛隊習志野駐屯地支部が発足します。
自衛隊員かその家族しか参加できませんが、大東流普及のための大きな一歩となりそうです。
私はこの3ヶ月の間にも色々な気付きがあったのですが、それをちょっと記録として残しておくということができませんでした。
しかし合気之錬体のレベルをステージごと上げる新たな発見がありましたので、それだけは記録しておきたいと思い、ご報告いたします。
簡単に言えば、合気之錬体というのは手先から足先までを一本として柔らかな統一体とするということです。
人間は通常、手、肘、肩、腰、膝、足首等に統一感がなくバラバラに体を使っています。しかも気づかずにかなり力んでいるのです。
小さい時から本能に任せて、あるいは親や周りの人間のやることを真似て、必要以上に無駄に力んでいるのです。
これを錬体会では人間動作、または生活動作と呼んでいます。
しかし武術では、このような動きは居つきを生むので嫌うのです。
それで武術においては、一旦、それらの生活動作を捨て、新たに正しく訓練された武術に必要な動きを学びます。
それを錬体会では弛緩力と呼んでいます。
それは物を持ち上げたりする動作に代表されるような力んだ屈筋主体の動作ではなく、力まない伸筋主体の動きとなります。
(まず表弛緩力であるところの伸筋制御運動から入っていくということです。裏弛緩力である屈筋制御運動はかなり習得が難しくなります。)
それら伸筋の働きを連動させて手先から足先までの統一体を作り上げます。
始めは手、肘、肩、腰、膝、足首等の部分部分がようやく繋がった程度のレベルの低いものであるのですが、徐々に繋がりが密になり、最終的には細胞レベルでの繋がりができてきます。
そうなれば、ちょっと手を振った程度の動きでも大きな効果を生むようになるのです。
ですから錬体会では弛緩力を初級の合気と位置づけ、その習得を必須としているのです。
このように解説すると手先足先の重要性に気がついていただけると思うのです。
我々錬体会の術理においては格闘技的な身体運用法は使わず、小手之合気から入る佐川先生伝承の身体運用法を行うのには細胞レベルからの統一体を作り上げるという理由があるのですね。
そして一旦ある程度に完成してしまえば、年齢や体格に左右されずに一生武術を修行することのできる体を手にいれることができるのです。
宝物を手に入れたようなものです。
ですから手先足先への集中力というのが、非常に大事です。
つまり小手への集力と指先からの動き出し、そして足先が効くこと。これらが合気之錬体の必須条件です。
最低限これらが一体となって自然に動けること、そして動く時には踏ん張らず蹴らずにスッと足先から摺り足または歩み足で動けること。
私はこの合気之錬体の身体運用法を内部感覚でコントロールしているのです。
そして足のつま先が効くこと、更につま先に体が乗ることが一つのポイントであったのですが、これは合気之錬体をある程度完成させるまでは必須であるのですが、実は最近気づいたのです。
体の重みと内部弛緩力の流れを足心に落とすということに!
これは佐川先生から吉丸先生への教えにはないことなのですが、合気之錬体のレベルが上がり、より一層に足の力みが消えてくれば自然とそうなるようなのです。
これによってつま先と踵を自在に使いこなせるようになると共に、より力みが消え、更に体の安定感が増したようです。
また体の軸であるところの正中線もより強化され、技の切れが増したようです。
平成22年05月30日(日)
今日の講習会で剣道高段者の方と竹刀稽古をさせていただいたのですが、とても楽しかったです。
それに大変勉強になりました。
現在、私は「合気之制位」の完成を目指しているのですが、2年前で50%くらい、今で80%くらいです。
残り20%を完成させるには、どうしても「先の技術」の使い手との稽古が必要だったものですから、剣道高段者の方が来てくださらないかなと思っていたのです。何故かというと剣道高段者の方は普通に「先の技術」を使いますので、私の持つ「合気之先位(先の技術)」が通用しがたいのですね。
「先の技術」を越えるのが「合気之制位」ですから、「先の技術」の持ち主との稽古が必須だったというわけです。
相手の方は謙遜されていましたが、相当強かったです。
私は自分からは仕掛けないと決めていたのですが、相手の方の出る力の強さに思わず反撃してしまったりして未熟でしたね。
現代剣道の出足の速さと竹刀捌きには目を見張るものがあります。
それに「剣道3倍段」と言いますが、本当だな、と実感しました。
よく「現代剣道の技術は、真剣では使えない」といったことを言われますが、実際に相手のルールで剣道家を捌いてみせた上で言わないと机上の空論と思われるだけです。
真面目に研鑽を積まれている剣道家は、そんなことは百も承知しているのですから。
それに剣道家が打ち込んで簡単に当たってしまうようでは、信用されないのは当然です。
私は吉丸先生に剣術の初伝を習っただけで、あとは武器は手の延長としてやっていますが、まあ間違いはなかったですね。
普段、体術の稽古ばかりで剣術は型稽古をごくたまにやる程度ですから、あの位やれれば十分でしょう。
今回の稽古を通して、「合気之制位」完成のヒントを多数手に入れましたし、稽古後のお茶会で、稽古相手をしてくださった方がご自身の師匠の話をしてくださったのですが、その指導内容が錬体会の弛緩力訓練法と一致するという嬉しい話でした。
大東流はもともと剣術の技術から派生していますから、当たり前と言えば当たり前ですが、なかなか理解してもらえないのですよね。
今は格闘技などの身体運用法が一般的で、剣術から出た小手之合気といった手の訓練法から入るやり方は現代人には理解しにくいようです。
私は空手や拳法の高段者とも組手稽古をやらせていただいているのですが、今回の剣道高段者の方との竹刀稽古の方がやりにくかったです。
竹刀に慣れていないというのもあったのですが、死角からスッと伸びてくる竹刀捌きが厄介でした。
でも本当に楽しかったです。
何事も経験しなければ知りえないことというのはありますから、とても良い勉強になりました。
平成21年12月29日(火)
大東流は手の訓練が重要です。
まず手の伸筋制御運動を徹底訓練して、型では考えなくても手がオートマチックに動くようにします。
さらに手はセンサーとしての機能もあわせ持っていますので、実用では相手の力や動きを察知して、一つ一つ頭で考える前に自動で的確に動くようでなければなりません。
いわゆる「小手之合気」とか「手の内」などというのにも意味があって言っているのです。
高等技術としての「手の内」などは、ちょっとした掌(特に指)の動きで相手の力を奪ったり崩したりが可能で、見る者して魔法のように見えるものです。
手の訓練がある程度進めば、次は足の訓練です。
その次は肩の訓練を行い、腰の訓練を行います。
ある程度は同時進行でも良いようです。
実は27日(日)の稽古後にさまざまな演武を行ったのですが、そのせいか昨日今日と軽い筋肉痛のような感じがあったのですが気にせず、今日も仕事後にいつものように一人稽古をしていると突然いつもと違う感覚が全身に起こり、グイッと新しいステージへと合気錬体のレベルが上がりました。
不思議ですねえ。
自分でも本当に不思議でならないですよ。
以前はこんなことまったくなかったのに。
新しい弛緩力合気の世界 弛緩力(力まない伸筋制御運動)と裏弛緩力(力まない屈筋制御運動)が融合して統一弛緩力というような作用を生む。 全身統一弛緩力10に対して部分弛緩力1か2 これが合気の集力(集中力)の大極意である。 |
大極意であるけれど、発表しても極めてごく一部の人しかできないから平気なんですね。(笑)
突然できるようになったのですが、入り口に入ったばかりなので明日にも消えてしまっているかもしれない。
でもこうやって書き止めておけば、すぐ感覚が戻ってくると思うので書いているわけなんです。
こういう特殊感覚というのは、ウエイトトレーニングでは絶対に生まれない感覚ですね。
別に筋肉が膨れ上がるとかですぐに見た目が変わるわけではないですから。
平成21年8月18日(火)
「合気上げ(上げ手鍛錬法)」について
合気上げは大東流に入門して最初に学びますが、始めに極意ありで非常に重要です。
しかし別にお互いが合気上げで勝負しているわけではありません。
武術に必要な力を養成すると同時に武術体を造り上げていく為に行っているのです。
ですから最初から無理にでも上げる必要はないのです。
初心者が無理やり上げようとすると必ず力みが出ます。もしも始めに力癖をつけてしまうと大変な回り道をすることになりますので要注意です。
それよりも伸筋制御運動を基に正確な動きを身につけることが大事です。
押さえる側も勝負ではないのですから、上げる側のレベルに合わせて押さえてあげることが重要です。
正確な動きが身につくのに合わせて抵抗を強くしてあげることがよいのです。
合気上げはある意味、一番最初に一番難しいことをやっているのですから、初級者は出来なくても恥ずかしいことではないのです。
正座した状態で上から力一杯に押さえ込むのを力まずスーッと上げるのですから、これが本当に出来れば同じ要領で手を掴まれたまま、上下左右どのようにでも動かすことが出来るようになるという一種の秘術でもあるわけです。
最近は上げることだけに特化した技術も研究されているようですが、合気上げで培ったものが武術の技に生かされてこなければ何もなりません。
大東流の技は突き詰めていくと「合気上げ」「合気下げ」に集約されるのですから、その原理原則が武術の技全般に通じていなければなりませんが、ただ上げることだけに特化した技術というのは、応用が効きませんね。
ちょっと押されるとひっくり返ってしまうようなものは、武術として全く役に立ちません。
本当に、武術全般、全てに通じる技術かどうか良く検証して取捨選択しなければなりません。
合気錬体会の技法は全て「弛緩力(力まない伸筋制御運動)」によって構成されています。(武器術も手足の延長として同様です。)
型稽古によって、相手が力で頑張る限り、「弛緩力(力まない伸筋制御運動)」で100%技を掛けることが出来るようになれば、次に歩法と捌きで自由に動きながらでも自在に掛けれるように訓練します。
更に「合気之先位」によって「後の先、対の先、先の先」を自在に使いこなせるように。
そして相手が自分と同じように先の技術を使うならば、「合気之制位」によって封じます。
皆さん、大東流は本当に奥が深いです。
平成21年7月14日(火)
平成21年7月12日(日)に行われた自衛隊の習志野駐屯地で行われた特別講習会のご報告です。
参加者が第1空挺団の日本拳法を中心とした徒手格闘の選手でしたので、とにかく体力や身体能力が一般人とは違いますし、年齢も主に25歳から35歳とのことで体力的に一番充実している時期の方々でした。
私はあまり格闘技に詳しくないので当日まで日本拳法=徒手格闘なのかと思っていたのですが、徒手格闘というのはいわゆる総合格闘技で何でもOKなんだそうです。
ですから当日の参加者も8割は日本拳法からの参加者でしたが、2割はブラジリアン柔術やその他の格闘技をやっている方だったようです。
講習内容は大東流の基本技に始まり様々な関節技に加えて肘逆の制圧術迄やり、上げ手(合気上げ)、返す合気、引く合気等の合気の用法をやりました。なかでも引く合気を使った投げ技は他流にはない独特なもので、体の小さな方でも体格の大きい人を楽に投げることができるものです。
私は教えるつもりで行ったのですが、帰宅してから講習会を振り返ってみると、実は色々な面で一番勉強になったのは私だったようです。
やはり一般人の方とは身体能力や根性が全然違いますから、そういう方が20人もいて一人一人手をとっていくと普段一般人の方を教えるときのような気持ちでは駄目だということです。
実感したのは普段は怪我をさせないように自分の能力にブレーキを掛けて指導しているのですが、どうもそれが習い性になって無意識に体の動きにブレーキを掛けてしまっていることに気づきました。アクセルを踏み込みながら同時にブレーキを強く踏むようなもので不自然になってしまっていました。
また私は捌きの際に、相手のリーチと動きを見切ってしまうとそのギリギリの間合いに体を置いて動くのですが、相手が身体能力が高く筋肉が柔軟だと動いているうちに間合いが広がってくるのです。安全にまた確実に捌く為には見切った間合いより1〜2cm広く間合いを保ったほうが良いようです。
その他にも気付きが多く、実に有意義な講習会でした。
参加者の方からも「大変いい勉強になりました。またお願いします。」と言っていただいていますので、次回に向けて修正していきたいと思います。
2009.7.12
自衛隊習志野駐屯地
第1空挺団 特別講習会
平成21年6月21日(日)
色々な方が吉丸先生の容態を心配してくださるので、こちらでもご報告いたします。
ご心配をお掛けいたしましたが、大丈夫です。
電話では週に2回〜3回ほど話をさせていただいているのですが、失語症はありますが、しっかりとした話し振りになってきています。
また先生宅が静岡になってしまわれたので、以前ほど頻繁に訪ねることはできなくなってしまったのですが、それでも1ヶ月か2ヶ月に1回は訪ねていって指導を受けています。
その時の先生は武術の話になると疲れ知らずで、その情熱はいささかも衰えていません。
近くでは6月7日(日)に吉丸先生宅を訪ねたのですが、顔色も良く以前より元気そうです。
病院で危篤状態のときは体が衰弱して髪も真っ白になってしまわれたのですが、今は髪も黒い部分がずいぶん増えてまいりました。
それに体調がよければ少し遠出も可能になってまいりました。
全く喜ばしいことです。
平成21年5月10日(日)
「合気上げ」についての質問が多いですが、「上げ手鍛錬法」のページをよく読んでいただければ理解いただけることが多いと思います。
武術に必要な力と武術体の養成法だと理解して稽古されるのが正解です。
中級者以上にとっては合気習得の為の一方法と成りえるのですが、初級者にとっては武術に必要な力(特に剛之弛緩力)と武術体の養成法だと割り切って稽古されることをお勧めします。
大事なことは、力まないこと、単なる脱力とは違います。
「上げ手鍛錬法」によって、いかなる時も力まずにスラスラ動けるようになることが合気習得に必要な条件になります。
基礎的弛緩力を使えるようになり初期の武術体から徐々にレベルアップして、故佐川幸義先生が「体を一本にする」と言われたところの肉体と精神の統一体である「合気之錬体」となれば、いずれ「動けば合気」の境地に達するでしょう。
ただその為には、初期の武術体において「真之合気=進化する(成長する)合気」を自得する必要があります。
基礎弛緩力が使えるという初期武術体レベルでは、やっと弛緩力合気の入り口に立った状態であり初級の合気が使えるというに過ぎません。
「守破離」でいえば、ようやく「守」の段階にいたったということなのです。
最近、また「合気之錬体」レベルが上がり体感にも変化があり、また技術的にも新しい発見がありましたので書いておきます。
いい加減、頭打ちがくるかなと思ったりするのですが全くそんなことはありませんね。(笑)
突然の閃きとともにレベルがグッと上がります。
とにかく努力を続けていると、それが形となって現れてきますので楽しみでもあります。
現に、見ればすぐ分かる体型等も2年前とは一変しています。
以前、合気においては集中力とイメージ力が大事だと書いたことがありましたが、それが進んで内部感覚において集中力のネットワークが出来上がってきたようです。自分の身体内部において部分部分の連携が密に、そしてより迅速になったようです。これらは自分の体感ですから詳しく説明するのは難しいのですが、右脳の働きによるのでしょうか?
そして技術的には、裏の弛緩力といえる「屈筋制御運動」ができるようになりました。
これはまだ三日前にできるようになったばかりで、どう使って良いかも分かっていないのですが可能性を感じます。
とりあえず体のポンプ作用が強化されるようです。
この新しい技術である裏の弛緩力「屈筋制御運動」ですが、使いこなせれば面白い展開になりそうです。
平成21年4月19日(日)
本日の講習会終了後に大幅な技術革新があったのですが、それはちょっと置いておきましょう。
まず最近の体感について少し書いておきます。
リラックスが深まったのか?ずいぶん腰が落ちた感じがします。
つまり地面と自分の腰との距離が近くなったような、そんな感じがするのです。
それは実際には別に体型が変わったわけでも脚が短くなったわけでもないのですが、いわば胴長短足になって地面が近づいてきたように感じるのです。
「あれ、こんなに地面って近かったかな?」と思ってしまうのですね。
おもしろい感覚です。
次に弛緩力(力まない伸筋制御運動)の技術的なことについてです。
自分の動きを観察分析してみると統一体(合気之錬体)として全身が協調して動いているのが分かるのですが、それらの部分としての動きを少し強調して動かすとより効果的なことが分かりました。
またこれらのことから全身の各部分から弛緩力(勁力・呼吸力)を同時に別々の作用として発揮できることに気がつきました。
この技術はまだ漸くできるようになった技術ですので、これから数年かけて磨き上げていきたいと考えています。
そして今日の講習会後に突然できるようになった技術についても少し触れておきます。
弛緩力(力まない伸筋制御運動)というのは、先端への集中力を活かす運動技術です。ですから手先、足先を非常に重視します。
そして基本的に手先、足先が運動の始点となり終点となって動くことになるのですが、その際にいわゆる丹田は基点または運動の中心点となるわけです。
そしてそれらの動きを首が統括しています。
これらのことが体感として捉えられる、そして体で表現できるということは柔統一体ができてることになるわけですが、実際にはなかなか難しいです。
なぜなら日常での生活動作(人間動作)では、こういった動きをすることはほとんどないからです。
それで今日の講習会後に突然できるようになった技術と言うのは、手先、足先、丹田を自在に始点、終点、中心点とする、または変化させる技術です。
これは面白いですよ。
私の動きがより自在にそしてより千変万化になるということですから。
私の場合、合気があるから押しても引いても先に動いても後から動いても自在に技が掛かるのですが、武術的により幅が出てきたということです。
平成21年3月15日(日)
本日の講習会では二ヶ条を主にやりました。
相手の様々な掛かり方から徹底して二ヶ条極を取っていく、それがとても面白いです。
いつもは一元を中心に二ヶ条、三ヶ条は少しやる程度なんですが、趣きが一元の技とは違っていて私自身も改めて勉強になります。
大東流にはこれだけ面白くすばらしい技が多数あるのに、やる人が少ないのが残念でなりませんね。
それで私はあまり見せる為の技をやるのは好きではないのですが、参加者に一層興味を持ってもらおうと、講習会の最後に「合気ができるとこうゆうこともできますよ」という見本で胸取りのからの演武をやってみました。
私の胸襟を相手に力一杯掴ませて十分に足を踏ん張らせた状態を確認させてから軽く倒して見せたのですが、私が少し動くまでは絶対的に安定していたはずなのにコロンと倒されてしまうのですね。
これは力でやっているわけではありませんから、道着ではなくても例えばセーターのようなものを着ていてもできます。
原理が分かればそんなに難しいわけではなく、やり方も色々あり最低でも八方法はあります。
それでセーターを着て演武をやってビデオに撮り You tube にアップしても面白いかもと考えたのですが、武術的にはあまり意味のないことですし、パフォーマンスばかりに注目されてもしかたありませんから止めることにしました。(笑)
それにビデオに撮ってもヤラセのようにしか見えませんし、見る目のある方にしか分からないと思います。
合気は合理的な技術であり魔法じゃありませんから、そこには必ず理論があります。
ただ合気のできない方から見ると、その理論がわからないために不思議現象に見えるだけなんです。
平成21年3月12日(木)
3月9日(月)に突然合気之錬体レベルが一気にステージごと上がりました。
いつも講習会の後にレベルが上がることが多いのですが、パッと閃きとともにグーッと引き上げられるような感じがしますね。
しかしステージごと上がる感じはめったになく、何度体験しても不思議な感じがします。
この時は本当に新しい世界が開けた感じがして、見るものまでが輝いて見えるような気がしますし、心がうきうきとはずむのです。
いわゆる高揚感に包まれているのでしょうか。
そして脱皮のように古い体を徐々に脱ぎ捨てていくような、そんな感覚に襲われます。
そして今回のステージアップがいつものレベルアップと違うのは骨格への影響でしょうか。
いつもレベルアップの後は筋肉が引き伸ばされる所為か筋肉痛が強く出ることが多いのですが、今回は体のあちこちの関節がミシミシ、バキバキときしむのです。
でもご心配なく、それが痛いどころか気持ち良いのです。
特に首がすごいです。知らず知らずに歪みが酷くなっていたのか、ミシミシ動いてスーッとするのです。
詰まりが取れるからでしょうか。
話は変わりますが、合気にとって大事なことは弛緩力(力まない伸筋制御運動)と内部感覚です。
初級之合気であるところの弛緩力(力まない伸筋制御運動)はまだ教えることはできるのですが、内部感覚は難しいですね。
身体感覚というのは、人によって様々ですから。
それに合気に必要な内部感覚を獲得するには、まず弛緩力(力まない伸筋制御運動)ができなければなりませんし、他には集中力と強いイメージ力が必要です。
ですから講習会では弛緩力(力まない伸筋制御運動)に加えて集中力とイメージ力の指導もしています。
しかし、それだけを稽古しているときはまあまあ良いのですが、技として動き出すとほとんどの人が人間動作(生活動作)となってしまうのが残念です。
これらは自宅での一人稽古によって克服できると思いますので、ぜひ基礎訓練法を積んでください。
故佐川幸義先生の合気は、日に何時間もの一人稽古によって培われたものだということです。
平成21年2月27日(金)
講習会でよく聞かれることの一つに鍛錬法があります。
つまり弛緩力の一人稽古法の他には何をやったら良いですか?ということです。
私が薦めるのは「木刀素振り」と「四股踏み」です。
「木刀素振り」は切先三寸に集力するように、そして伸び伸びと伸張力を利かせて振ります。
真面目にやっていれば色々なことに気がつくことでしょう。
「四股踏み」は強く踏むことより軽く軽快に踏みます。あまり大きく強くやる必要はありません。
なぜなら大きく強く踏もうとすると力みが入るからです。
いかなる場合でも「力み」は禁物です。
弛緩力(伸筋制御運動)というのは力んだら台無しになってしまうのです。
ですから弛緩力(伸筋制御運動)をある程度理解するまでは、「素振り」でも重さのある振り棒などは使用しないほうが良いです。
「四股踏み」も軽快にやっているうちに自然と強さが出てくる分には良いですが、最初から強く踏もうなどと考えてドシンドシンとやっていると疲れるわりには効果が出ません。
いわゆる力を鍛えているわけではありませんから、あくまで弛緩力訓練の延長に鍛錬があると考えてください。
平成21年2月8日(日)
武田惣角先生を始祖とする大東流は手を大事にし、手から訓練していきます。
それは「上げ手」に始まり、「小手之合気」「手之内」といった技術があることからもよくわかります。
そしておもしろいのは大東流・合気道をはじめとする合気系武道では、まず入門者には必ず手を開くということを指導いたします。
相手がつかんできた時はもちろん、打ちかかってきた時も手指をパッと開いて対処します。
これはもちろん伸筋の作用を働かせるためですね。
武術をはじめ芸事では最初に動きの基本となる大事なことを指導いたします。そうでなければ流儀として間違ったものになってしまうからです。
まさに始めに極意ありです。
たとえばピアニストやギタリストなどミュージシャンは器用に手指を使います。
故佐川幸義先生も器用に指を動かすことができなければならないと言われていました。
ですから手指の伸筋を主体として、コントロール訓練を重ねなければなりません。
これにより小手への集中力を養成することができるのです。
そして手指への集中力が高まれば、本日の講習会で見せたように、指一本で大の大人を自在に操ったり数メートル飛ばしてみせることができます。
しかしそういった様々な現象は枝葉であり、幹である伸筋制御運動こそ本質なのです。
手の訓練が進めば、次は足です。
足は伸筋感覚が主体にはなっていますが、実は一般の方は力みが多いのです。
よく訓練して手と同様に力まずに器用に動かせるように訓練しなければなりません。
本日の講習会では「振り解き当て技」もやったのですが、講習会参加者が私に打ちかかった瞬間、「消えた!」とビックリされていました。
それは私が足の伸筋制御運動により起こりのない足捌きで動いた為で、周りで見ていた人には私は普通に動いたとしか見えないのですが、打ちかかった方には一瞬で視界から消えたように感じたのでしょう。
面白いですね。
平成21年2月1日(日)
本日、吉丸慶雪初代総師範から佐藤金兵衛先生伝大東流(山本派・植芝派)の全伝承が終了いたしました。嬉しいです。
そして正直、ホッとしました。
これで私から次の世代への吉丸先生伝大東流の伝承が確実に行えます。
以前、佐川幸義先生伝大東流(佐川派)八元までの伝承が終わった時も一山越えた気がしてホッとしましたが、今回の方が安堵感が大きいです。
そして伝承の過程で、私は技量的にも格段とアップした感じがあります。
技の自在性がますます広がって、動けば合気の境地が深まりました。
佐川派大東流は故佐川幸義先生が技を原理ごとに整理されて指導されていますので、技法数は多いのですが一元と二元の術理を理解・体得しておれば、そこに新しい技法が加わる感じで比較的覚えやすいのですが、佐藤金兵衛先生伝大東流は技が簡単なものから複雑なものまで多様な上にパターンがつかみにくく苦労しました。
もちろん同じ大東流ですから同種の技も多く、その点は助かったのですが結構大変でした。
しかしその習得の過程が大東流の面白みを倍増させてくれました。
それに佐藤先生伝大東流には「地獄締」とか「閻魔」だとかいった聞くからに恐ろしげな名称の技があったり、「邯鄲夢の枕」などという漢詩風?名称の技があったりして武術好きには堪りません。(笑)
また複雑な技や私が理解しにくい技は吉丸先生が病気療養中であるにもかかわらず身振り手振りに加え、直接手をとって技をかけてくださり熱心な御指導をいただきました。
私は吉丸先生に本当に感謝しています。
「皆さん、本当に大東流はおもしろいですよ。」
私は凡人ですから、吉丸先生のように故佐川幸義先生の技を正確に再現はできないのですが、その術理はよく理解しています。
武術の技は形と術理から成り立っていますが、その中身である術理が重要です。(技の形は体格や体質により若干変わってくるのが当たり前で、武術の技を単なる形としてやるのはよくありません。それでは技が活きてきません。)
術理の中でも最重要なのが弛緩力(力まない伸筋制御運動)です。
下記の故佐川幸義先生の談話に出てくる「皮膚の内部の筋肉のはたらき」というのが弛緩力(力まない伸筋制御運動)のことです。
佐川幸義先生談 (当時85歳) 週刊文春(昭和63年5月26日号)より |
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「私は、なにも気だとか、催眠術とか、そのようなものを使っているのではなく、ごく簡単な力学ですよ。 自分の手足、体が相手に触れたとき、皮膚の内部の筋肉のはたらきで相手の力を抜く、それが合気なんだ」 |
平成20年9月28日(日)
昨日の一人稽古中に、長年疑問を持っていた腰構えについての一応の答えが出ました。
技をやっているときは自然とそうなっているのに気がついたのです。
やはり作ったものは良くないですね。どこかに無理があります。
やはり頭で分かっていても体でできるというのとは別です。稽古により体の中の自然ということに気がつかなければなりません。
また一般に武術の稽古では先生の形を真似するということから入っていくのですが、形を重視し過ぎて物真似に終わってしまうことに気をつけなければなりませんね。
大事なのはその形にあるのではなく、その中身であり術理の部分です。つまり本当に大事なところは、形にほとんど現れず見えないところにあるのです。
大体、人間一人一人はその体格・体質や性格も違います。体格でも大きい人、小さい人があり、背が高いが痩せていたりとか小さいがガッチリしていて腕が太いとか、皆違います。それを一律に先生とそっくりに真似させるのは初級までで、あとはその人の個性と長所を伸ばす方向に導かなければなりません。
つまり大きい人と小さい人では技の掛け方が違ってくるのは当然であり、また技は相手の体格や力の入れ方によっても変化します。
芸事では「守・破・離」ということが言われますが、これは本当であり大事な教えです。
ですから形を形として稽古するのは良くないです。そういう稽古をすると、その自ら作った殻から抜け出ることができなくなるからです。
ただ自分勝手にやるという意味ではありません。やはり守らなければならない基本が形の中にはあるのですから、それは大事にはしなければなりません。
たとえば本日の講習会で「いくら力を入れて頑張っても無駄ということがよくわかりました」と言われた方がおられましたが、これは同じ形の技をやっても私が他の方々とは全く違う体の使い方をしていた為で、その部分が術理であるわけです。
平成20年8月22日(金)
会員の方から続けてご質問をいただきました。よい質問ですので参考に私の返信を乗せておきます。
○○様、こんばんは。 >「DVD剛と柔の弛緩力テキスト2枚組」についてです。
>こちらのDVDには吉丸様、有満様が出演もしくは解説をなさっているのでしょうか。
鋭い質問ですね。
実は出ていません。
大東流は秘密主義なので、特に佐川先生はそうでしたが、大事なところは見せられないのです。
ですから他の門人が手本を見せています。
ただし吉丸先生が監修していますので、技術は本物です。
案内は以下の通りです。
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「弛緩力テキスト」は書籍「合気道 極意の秘密」の一元合気錬体法・弛緩力訓練テキストの映像版です。
一元技法を使って、どう弛緩力を習得するかということを教えています。
術理など、テロップによる解説つきです。
ただ「弛緩力テキスト」は二人稽古法ですので、稽古相手のおられる方か、二人稽古における術理を知りたいという方向けです。
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>追伸:最近HPにアップされました、YouTubeの映像はいつ頃のものでしょうか。
これは最近のものですが、やはり編集して大事なところは見せてません。
古い2004年の映像は消してしまいました。
主に弛緩力を使っているところは見せても問題は無いので、アップしました。
合気をハッキリ使っているところは映像化できません。それは佐川先生の口伝にあるとおりです。
しかし真之合気の作用は、合気之錬体である私の動きに自然と出てしまっていますので、見る人が見れば
分ってしまうかもしれません。
合気錬体会総本部 有満庄司
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○○様 またいい質問ですね。
「DVD剛と柔の弛緩力テキスト2枚組」は弛緩力を運用する内容です。
簡単に言えば「型」です。形と術理という言い方でも良いですが。
弛緩力を獲得するには基礎訓練法をやらなければ無理です。
そして弛緩力とはこういうものという認識を得なければなりません。
たぶん昔はがむしゃらな稽古をした一部の人が偶然身につけたのではないでしょうか。
もちろん基礎訓練法をやりながら運用法を学べば理解と上達が早いと思います。
合気錬体会総本部 有満庄司
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平成20年7月6日(日)
本日の講習会から体験を増やすように心がけました。
柔術技は、床が板間なので投げる際に気をつけ加減して転がすようにしていましたが、拳法技は実際に体を叩いてみせないことには分りませんので、急所の少ない肩や手首周辺を軽く叩いたりしたのですが、軽く叩いたにもかかわらずその浸透する打撃の威力に驚かれたようです。
また脚への蹴りで人が軽く浮かび上がって倒れてしまうのにも驚かれたようです。
これらはいわゆる「合気充満の腕」の応用であり、故佐川幸義先生は打てば簡単に骨折させることができると述べています。
打撃はもともと伸筋の作用ですから、拳法技は伸筋制御運動(弛緩力)理論と相性が良いのです。
今日、私の技を受けた方が「技の始めと終りは記憶があるのに、途中が抜けてる」というのがあったのですが、面白い感想だなと思いました。
さらに時空間之合気を使った「無想機先」では、構えて十分に用心していてもいつの間にか間合いを取られてしまうのが不思議なようです。
また入身の上級技術も見せたのですが、いつの間にか入身に入られ軽く触れられただけで抵抗できずに倒されるのが同様に不思議ではあったと思われますが、これは先の技術とはまた別です。大東流にはこのような良い技術がたくさんあります。
平成20年6月24日(火)
22日(日)にあった講習会での指導中にハッと気がついたことがありました。それは私は指導方法を勘違いをしていたのかもしれないということでした。
私は講習会に参加してくる方というのは皆上達したくて参加してくると思っていましたので、その期待に答えられるよう、確実に上達できるように「弛緩力の解説、基礎練習方法、その応用と変化」といったものを順を追って生真面目に指導していました。それに初心者の方の参加も多いものですから、どうしてもそういう方に合わせた内容になってしまいます。
これらは地味ですが、吉丸先生の著者で得た知識や技術の再確認になりますし確実に地力をつけてくれますので間違いではありません。
しかし22日(日)の講習会は参加者が少なかったこともあり、わざわざ遠方から来てくださった初参加者の方に多く体験してもらおうと受けを多く取らせて何回か投げたり固めたり押さえたりしていました。するとそうするうちに、目の輝きが変わってきて見違えるように体の動きもスムーズになってくるではありませんか。それで試しに中段突きをやってもらうと、すばらしい突きを出されました。(しかしその突きを私が合気充満の腕で弾き落としたので、その突きがすばらしいが故に衝撃が自分に跳ね返りかなり痛い思いをされたようです。)
しかしこれだけでは固さが取れて普段の動きが引き出されただけかもしれないと思い、他の参加者にいつもより多く連続して受けを取らせてその後の様子を観察していると確かに動きが良くなっているではありませんか。本人は気づいているのか、いないのかまでは分りませんでしたが。
どうやら私の技に触発されて、知らず知らずに「体の自然」が呼び起こされるようです。
これは今後の私の研究課題の一つになりました。
それで帰宅してから考えたのですが、杓子定規に講習会をやるより技の体験を多くできるような形に徐々に変えていった方が良いかもしれないという事でした。熱心な方は言わなくても基礎訓練法と型稽古は黙々とこなしているようですし、講習会ではその人本来の力を引き出せるような、また自覚を促すような形式にしていきたいと考えます。
現在、講習会の中で弛緩力拳法に1時間かけていますが、とても面白いですよ。
護身中心でやっていますが、合気系武道をやっておられる方で打撃の対処方法が分らないという方はぜひ参加されると良いと思います。また空手や拳法など打撃系武道をやっておられる方で投げや関節技を取り入れたいと考えておられる方にもお勧めです。力やスピードに頼らない技術ですから習熟すれば、年齢に関係なく役に立ちます。
錬体会の門人には打撃経験者が少ないので、打撃系武道の経験者は歓迎します。
それに大東流は格闘技ではないので本来は組手はやらないのですが、組手の真似事程度でよければやっています。
今回の講習会では空間之合気による「即空制先」をやって見せたのですが、「無想機先」とは違い、私は何するわけでもないのに相手は間合いに入れずジリジリと下がるしかないようでした。使う技術と相手によって反応は様々だとは思うのですが、面白い現象です。
平成20年6月12日(木)
本日、超弛緩力が進化しました。
超弛緩力は身体の力みを抜き捨ててはじめて使えるのですが、合気之錬体レベルが上がったことと新しい合気原理技術の発見により、「超ウルトラ弛緩力」(笑)とか「超弛緩力
2」(笑)とでも言うようなものになったようです。
今までの超弛緩力でも相手を数メートルは軽々と飛ばしていたのですが、新しい合気原理技術や無限加速度運動と融合することによって、信じられない威力を発揮します。
本当に無駄な力みが抜けて、雑音の無い澄んだ音のような力、無理の無い純粋な身体操作による作用、柔らかく浸透する力とでも表現するしかないです。
「合気之悟り」以来、4年半足らずでここまでくるとは、まことに合気は不思議です。合気には人を変える力がある。合気には人を成長させる力がある。
ただの凡人だった私をここまで変え得る力がある。私は分不相応な力を手に入れたのかもしれません。
先日の5月18日の講習会に参加されたKさんから感想をいただきました。
Kさんは講習会で地力がある動きと反射神経のよさを見せており打撃にもたけている様子でしたので、組手の真似事で「無想機先」の受けをとっていただいたのです。間合いの攻防にも慣れているようでしたが、それもそのはずで最近いただいたメールで知ったのですが、○○拳法の全日本(関東)のタイトルや×××の徒手格闘でタイトルを何度も取っているということでした。
「無想機先」 5月18日の練習では間合いを制されて(「無想機先」)何もできませんでした。たぶん何かやっても墓穴を掘るだけだったでしょう! 普通なら体が勝手に反応してしまうのですが。不思議です?研究課題です。 |
他に受けをとった人の感想では、なんだか自分がうまく動けないというふうに感じたようです。
立会いの瞬間に私はちょっと動くだけなんですけどね、理屈が分らないので不思議に感じるのでしょう。
平成20年6月8日(日)
本日の講習会でも弛緩力拳法の時間を多めにとったのですが、やはり打撃に対しての攻防技術の必要性を感じる方が多いように感じました。
また打撃は受け損なうと怪我につながる為、真剣さも違うようです。
私は、パフォーマンス技や見せるための技というのはあまり好きではなく、数メートルとばしたり叩きつけたりというのは受身が上手な人でないと危ない為、最近はあまりやらなくなっているのですが、そうすると掴みや組技からの合気というのは実用性はあっても地味になってしまうのは仕方ないことです。
しかも上の手や奥の手は見せる人をも選ばなくてはなりませんから、ますます派手さとは無縁でした。
しかし打撃においては時空間之合気を全く使わないという訳にはいかず、ちょっと触れて転がしたりちょっと動いただけで力が入らなくなるなどの技は受けをとった人だけでなく見ている人も不思議に感じるようです。(実は不思議でもなんでもなく、そうなるのが当たり前なのですが、理屈が分らない為に不思議に思えるのです。)
組手の真似事のようなこともしたのですが、離れているのに私が少し動くだけで間合いが不利になったり、力が入らなくなったり、構えてる手が死んでしまうのが、受け手だけでなく見ている人をも幻惑するようです。
しかしその不思議さが人を惹きつけるようですね。参加者の皆さんの熱意が上ったのが肌で分りましたから。
でも最後に質問があって、つい「合気は力ではない」というのを形でやってみせてしまったのはやりすぎでした。実は教えすぎもよくないのですが、こういう武術の世界があるというのを知ってもらいたくて、うっかりやってしまったのです。(反省)
講習会終了後に極意が一杯あったと感想を言ってくださった方がおられました。確かに極意なのですが、しかしこれらは入り口に過ぎないのです。武術の奥は深く、道は尽きません。
平成20年5月18日(日)
本日の講習会は、いつもより弛緩力拳法の時間を多くとりました。
今まで合気技の稽古がほとんどで、拳法技はほんの少しでした。それは拳法技は速さがあるので、未熟な段階で進めると怪我や事故がおきる確率が高まる為です。それで参加者の体作りがある程度進んでからと考えていたからでした。
しかし護身の面から考えると、昔は喧嘩でも取っ組み合いが多かったのですが、現代では殴り合いが多く、事件ともなると突然ナイフなどで襲われるケースがあり、打撃攻防の技術習得は必須と考えます。
合気錬体会では、「佐川吉丸伝、山本佐藤伝、植芝佐藤伝」の大東流の正確な継承とともに、現代に適応した体系を作り上げていく必要を感じています。
それは今時手刀で上段から打ってくる人はいないし手首を掴んでくる人も滅多にいないでしょうから、それよりもすばやいパンチや蹴りへ対応できる体系を作りあげていかなければと考えています。
合気が分り合気之錬体となれば形にとらわれることがなくなるので自然とできることではあるのですが、いつ護身の必要が出てくるかは分らないのですから、いつでもパッと動けるように訓練しておかなければなりません。合気習得は丁寧に教えても簡単には行かないようですから。
弛緩力拳法の攻防技術は多岐にわたり、突き一つとっても大まかに6種あり相手の出方によって使い分けます。それを難しいと考える人もいますが難しいのではなく本当は自然とそうなるのが当然なのです。合気が分れば「体の中の自然」が呼び起こされてくるので、色々な状況において自然と正しい動きをとるようになります。だからそうなるのが当然といえるのです。
防御においても受け即攻撃となるように、またこちらから攻める場合も力任せや勢いで攻めるのではなく「付け、押さえ、捌き、イナシ、崩し、迎え入れ、吸い込み、・・・等」といった技術により自分は有利に相手には不利になるように仕向けます。
本日は特に護身において有効な「付け、押さえ」の技術を中心に稽古しましたが、やはり普段打撃練習を行なっていない方は突きが顔の近くにくると怖く感じたようです。しかし、こういうのは慣れですから、すぐに平気になりますから。
最後に○○拳法をやっている方を相手に時空間之合気を使った「無想機先」をやって見せたのですが、構えて向かい合った瞬間に私がスッと少し動くと「あっ」と驚かれた表情をみせておられました。 私が相手の方の間合いを取ってしまい、一瞬で私が圧倒的に有利に逆に相手の方は不利になったのが分ったようでした。組手を数多くやっておられ間合いの攻防が分っておられる方のようでしたので、よく理解できたようです。
平成20年5月6日(火)
最近、体の変化が進んできて合気之錬体レベルがステージごと上がった感じがします。
不思議ですね。
合気之悟りを得るまでは全くの凡人で、そんなこと考えたこともなかったのですが、合気により身体感覚が磨かれるのか自分の状態というものに敏感です。
私が常日頃、特に強く感じることは、技術的にも体作りにおいても「力まない」ということが大事であるということです。この「力まない」ということが武術においては基本であり極意なのですが、なかなか体現できる方は少ないです。本当に難しいです。
かくいう私も合気之錬体レベルが上るまではできてるといつも思い込んでいるのですが、実際に合気之錬体レベルが上ってみるとまだまだ力みが多かったということが実感させられ、以前の自分の無能さぶりに恥ずかしく穴があったら入りたくなることは多々あります。
「力まない」というのは徹底して無駄な筋肉の緊張を抜いていくことですが、ふにゃふにゃな腑抜け状態になるようなことではなく、一本芯がなければなりません。これは大事です。
その芯が以前は豆腐レベルの強さだとすれば、今はコンニャクレベル位にはなったでしょうか。(^^)
そして「力まない」という極意で、大事なポイントになるところが肩です。
よく「肩の力を抜け」と言いますよね。その肩です。
単にブラブラに力を抜くだけでも多少の効果はありますが、本当にいい形で抜けるとその肩の力は腹に落ちます。見た目に分るわけではありませんが、自分にはそういう感覚があります。以前の私がそうでした。
現在は合気之錬体レベルが上がり、肩の力が足元まで落ちました。そういう感覚が確かにあります。そうしましたら以前一年中ガサガサだった足裏がしっとりとしてきました。不思議ですよね。
それに足裏が床に吸い付く感じが以前より随分強くなりました。でも別に本当にくっ付いているわけではなく足を上げれば普通に上るのですが、自分の身体感覚ではそう思えるのです。さらに内部感覚を働かせる為か?少しやせて以前よりはスマートになりました。これは少し嬉しいです。(^−^)
そして首は逆に上に浮くというか、頭が上に引っ張られるような感覚があります。
こういう感覚は個人差があると思われますから必ずこうなるとは限りませんが、稽古や訓練などが正しければ近い感覚が生じると思われます。後進の方は参考にしてください。
大東流はまず手の徹底的訓練から入ります。そして朝に夕に鍛え、次に足をやり、更に体を鍛えます。これにより体が一本になるのです。
そう、合気之錬体という統一体になることが大事です。
そうなればレベルが上がるに従い、体が合気そのものになるという高い境地を得られると思います。
平成20年2月21日(木)
去年から無理をしすぎて体調を崩していたのが、2回目のトンネルを抜け更なる回復に向かっているようです。
こんなことは初めてですので、これから先どう変わるのかサッパリ分りませんが、体質が変わりつつあるのは確かです。
「合気之悟り」以来、毎日、身体の何処かには必ず筋肉痛があったのですが、それに加えここ数ヶ月は忘れていた古傷が痛んだり、疲れやすい上に体に力が入らず体が重くだるかったり、食欲もあったりなかったりと散々でした。しかし技をやるのには何の支障も無いのです。
体型も変わってきました。これは訓練を続けていれば必ず形となって現れるからです。他にも不思議な変化が出ています。
合気習得には、弛緩力の訓練により「一本になる」という合気の統一体をまず造り上げるのが大事です。
そして体ができなければ合気のレベル向上は難しいです。
平成20年1月26日(土)
合気への質問で気になるのは、いまだに合気を魔法のような万能のものと勘違いされていることですね。
合気も定義が違えば中身が変わりますから、色々な合気があってもかまわないとは思います。
しかし以前も書いたのですが、合気錬体会の合気というのは純粋な体の技術です。根本に合気原理があり、人間の骨格や生理といったもの踏まえて、合気力学というべき思考と技術を基に発展するものです。
だから当然、長所もあれば短所もあります。合気のすばらしい長所ばかりが強調される為に魔法のような技術と勘違いされ易いのでしょう。
合気最大の長所は、人によく作用することでしょうか。それは合気は力ではないから気づかれない為です。
逆に合気の最大の短所というか弱点は、物や人形には全く作用しないということです。それは物や人形を動かすには力を必要とするからで、合気は力ではないので物や人形には全く作用しません。
ですから私は今まで合気上げで一度も押さえられたことがありませんが、生活動作等での重い物を持ち運ぶといった動作は苦手です。
合気による力と重さの無効化というのは、あくまで人間に対してということで、バーベルを持ち上げるといったこととは別のことなのです。
合気は純粋な技術として、人間の「生の力」を切り捨てることで発展するようなところがあります。だから技術が高まれば高まるほど、力はいらず、逆に力があると邪魔に感じるようになります。「究極の合気」というのはそういうものです。
つまり合気は力ではないので、相手が大きいからとか力が強いからやりにくいというのは合気ではないのです。
少なくとも吉丸先生の学んだ故佐川幸義先生の60〜75歳の合気はそうでした。
ただ、力に関係なく中級レベルまでの合気は弱点をつかれると掛かりにくくなるようです。技術ですから当たり前ですが、実はそういうことを明かすということは上級レベルになればそういう弱点をカバーするというか人間の本質をつく技術があるということです。もちろんここには書けません。やはり武術ですから、秘密にしなければならない技術があります。
それに大東流はもともと秘密主義ですから、なんでも公開するといういうわけにはいかないのです。
DVDや講習会で公開できるのは中級合気のさわりまでです。それ以上は、やはり人を選んで伝えていくことになります。
それでも合気系武道の高段者や才能のある方は資料のDVD映像を見ただけで、その秘密をとってしまわれる方もいるとは思います。技術を公開しているのですから、勝手にとってしまわれるのは仕方ありません。
いずれにせよ、最低でも根本の合気原理は、吉丸先生や私の技を見たり受けることで自得していただきたいと考えています。
それにはまず「弛緩力(伸筋制御運動)」を理解し体得する必要があります。
平成19年12月9日(日)
本日、合気錬体会の第二代総師範を拝命いたしました。責任がより重くなったということで、身の引き締まる思いです。
吉丸初代総師範には、生涯、総師範を貫いていただきますが、本日より合気錬体会は二人総師範体制で運営していくことになります。
どうぞよろしくお願い致します。
私としましては、仕事が多忙のうえに体の鍛錬、さらに合気の研究、吉丸先生より譲り受けた多数の資料整理もあり、これ以上忙しくなるのは大変なのですが、一旦引き受けた以上は精一杯やらさせていただきます。
合気原理というのは比較的簡単な技術なのですが、簡単ゆえに皆気がつかないのでしょうか?
簡単なことが、工夫研究するうちに複雑で奥の深いものになってくるのです。
「合気之悟り」以降、私のような凡人にも分かったことですから、吉丸総師範をサポートしているうちに合気取得者がゾロゾロ出てくるのではと考えていました。ですからその中から総師範に相応しい人物に第二代総師範をお願いして、私は仕事と合気研究に専念しようなどと考えていたのですが、そう簡単にいくようなものでもないようです。
合気は、頭が良過ぎると難しく考えてしまうのかもしれませんね。武術ですから、体で覚え実践することが大事です。
私は吉丸先生の教えにより、たまたま運良く大悟したのかもしれませんが、少悟を重ねても「真之合気」に至るはずです。その為には、まず弛緩力(伸筋制御運動)を理解して習得することです。弛緩力を故佐川幸義先生は「武術に必要な力」と表現しておられたようです。これを通らねば、絶対に合気習得は難しくなります。ただ弛緩力は単に力ではなく、また弛緩力と「真之合気」は別物です。つまり弛緩力は合気の一部ではあるが、合気そのものではないということです。
こういったことは合気を取得していれば当たり前のことなのですが、合気がよくわかっていないとチンプンカンプンに感じるようです。
平成19年11月24日(土)
実はここ3ヶ月ほど体調を崩していたのですが、やっと回復してきました。私はただでさえ多忙なのですが、あまりに色々なことが分かってきた為にやることが増え、訓練の時間を捻出するのに睡眠時間をかなり減らして訓練していたところ、慢性疲労状態に陥ってしまいました。
合気は力ではないので講習会で技をやるのには何ら問題は無かったのですが、日常生活に支障が出てしまい参りました。
性格的につい一気にできるようにしてしまおうと無理をするのが悪い癖で、若い頃も三日三晩寝ないで稽古した際に両足裏の皮がズル剥けになって数日稽古できなくなってしまったのを思い出しました。体を壊してしまっては元も子も無いのに本当に悪い癖です。
合気は力ではないので、鍛錬するといっても別に力をつけるためにやっているのではなく、合気に必要なところを強くすると同時に必要な筋肉を自在に動かせるように訓練しているのです。これは合気が分かったら、必ずやって体を芯から強くしなければなりません。これによって合気之錬体レベルが上がってくるのです。合気之錬体レベルが上がってはじめて、色々な高度な技術も使いこなせるようになってくるのです。これは2〜3年単位で考えなければならないことです。
ただ合気が分からないうちに、むやみに体を鍛えても弊害が多いです。それはどうしても力になってしまうからです。何度も言うようですが、鍛えるというよりも伸筋制御運動(弛緩力)理論に基づいて訓練するということが大事です。
「 十二方 ゴリラ くっつく 首と前足の大事 円滑振子運動 」
平成19年10月4日(木)
先日、9月30日(日)に講習会がありました。いつも御礼のメールは多数頂くのですが、今回はご自身の意見とともに講習内容の的確な分析等のあるものをいただきました。それで、お願いしまして掲載の許可をいただきました。
私が講習会について書くと、どうしても講師としての視点から書いてしまいます。ところが参加者の方の視点から書かれたものを読ませていただくと、非常にリアリティのある、そして合気について多数のヒントのある文章になっています。また実に講習内容をしっかりと分析されていますね。
私も参考になります。ぜひ次の講習会に活かしていきたいと思います。
有満先生 昨日講習会に参加させていただきました、○○○○です。 昨日の講習会ではたくさんの、しかも非常に核心に触れる部分を教えていただき、 本当にありがとうございました。 正直申しまして、あんなにわかりやすく術理を教えていただけるとは思っていません でした。 「伸張力」ということがはっきり理解できました。生意気ないい方かもしれませんが、 これまでやってきた空手や、現在中国でやっている太極拳の真の術理が昨日の 講習会に参加することで、何かひとつのものに結びつくような、あるいはもやもや していたものが頭の中で大きなひとつのものに形成しつつあるような不思議な感覚 が今も続いています。 参加するまでは「力まない伸張力」というものがどういうものかまったく想像できま せんでした。 昨日の感想ですが、特に前半の「伸張力」「小手への集中」「体を一本にする」に ポイントがあるように思いました。先生が言われたように、これからは薄い紙を重ね ていくような稽古をしていくつもりです。体を作ることが大事だということもまったく そのとおりだと思います。まずはそれを目標に稽古をしていくことにします。 そういえば、私の空手の師匠も「手を開け」ということをよく言われていました。また 現在通っている太極拳の道場では、先生と手の押し合いをしたときに必ず押されて しまうのですが、そのときの感じと昨日の「揚げ手」で上げられるときの感じに共通 点があるようにも感じました。(妙に方向をずらされて力を入れようとしても入らない ような感じです。) 先生の指導方法も実に堂々とされており、わかっている人だからこそ出せる風格を 感じました。おごりもなく、てらいもなく、それでいて、けっして侵せないような凛と したものを持っておられました。これまでホームページを読ませていただき、非常に 共感しておりましたが、実際にお会いして想像以上の方だと思いました。 また講習会後いろいろ自分なりに振り返ってみて、わかっていない部分もたくさん あることに気づきました。 (1)3人の方を床に押さえられたときに、「(彼らの)力を抜いているから起き上が れない。」といわれた、「相手の力を抜く」という意味は、その後行った型講習で言 われた「力の入らない方向に押す(あるいはもっていく)」というのとは別の意味が あるように思うのですが、これがどういうものなのかわかりませんでした。 また、小手返し(だったか名前は覚えてないのですが「合気で引っ付いているから 離れない」といわれた「引っ付く」というのもわかりませんでした。 (2)打撃講習で、「勁を突き抜けさせている」「勁を相手の体に残すような突き方 をすると非常に気持ち悪い」といわれた、「突き抜ける」「とどめる」という部分が わかりませんでした。これも先端への集中のピントをどこにあわすかというような 使い分けなのでしょうか。 (3)「肩に効かせる」「腰に効かせる」「ひざに効かせる」ということについて、現象は 一目瞭然なのですが、どのようにするのかさっぱりわかりませんでした。 しかしこれに関しては体ができてくると自然に弱いところへの集中の角度を調節する ことでできるような気がしました。 もちろん、一度講習に参加しただけですべてわかるなどとは考えていません。これらに ついては自分自身で研究していきたいと思います。また当面はなかなか時間を作る ことができませんが、機会を作って再度講習会に参加させていただきたいと思います。 本当にありがとうございました。 |
平成19年9月19日(水)
私は、平成17年6月1日に木村先生を仲介して、佐川幸義先生のご子息の合気司家佐川敬行様から吉丸先生を気遣うお言葉があり、また吉丸先生が離門に至った経緯を説明する資料を平成18年10月に佐川敬行様並びに木村達雄先生に送ったことによりすべての決着がついたものと考えておりました。
しかし、最近、吉丸先生の佐川道場時代の後輩である高橋賢現師範が「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」を出版されました。
私も勉強させていただこうと購入したのですが、読ませていただくと合気錬体会として納得のいかない内容が数ページにわたって書かれているではありませんか。
それで私は高橋先生の「その真意と責任」を尋ねる為に直接会って直談判することに決めました。それで準備を整えた上で吉丸先生に連絡しましたところ、駄目だと言われるのです。どうも私がカッとして事件になるのを心配されているようなのです。
以前、木村先生の件の際に筑波大学に乗り込もうと考えているのを見透かされてしまい勝手な行動をきつく禁じられてしまったことがありました。結果から言えば、木村先生と友好関係を築くことができて吉丸先生の判断の方が正しかったのですが、今回ばかりは私も簡単に引き下がるわけにはいきません。
なぜなら木村先生の時は吉丸先生への私信であったのですが、今回は書籍として一般に販売されており反論や抗議をしなければ事実として後世に残ってしまうことになります。特に「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」で初めて大東流を知った方は真実だと受け取る心配があります。
「透明な力」は主に佐川先生の言葉を木村先生が記録して出版されたもので、吉丸先生としては恩義ある先生に反論することは難しかったと思います。
しかし高橋先生は吉丸先生の後輩であり、別に恩義があるわけでもありません。これは絶対に抗議するべきですと譲らず、冷静に交渉すること条件に電話することを許可していただきました。しかし内心では電話でこじれたらやはり直談判するつもりで決心していましたが、実際は拍子抜けするものでした。
30分ほど話したのですが、以下はその概要です。(★ )内は私の胸の内です。
受付の女性に取り次いでもらい高橋先生に電話に出ていただきました。
高橋先生 「高橋です。」
私(有満) 「合気錬体会の有満と申します。本の出版、おめでとうございます。佐川先生の写真が多数あり、大東流や合気道を学ぶ人にとっては勉強になります。」
高橋先生 「ありがとうございます。」
私(有満) 「ただ合気錬体会としましては納得いかない記述があり、その点をご質問させていただきたいのです。まずP.143に『この機会に訂正しておきたいことがある。ある本によると、佐川先生が時宗師範のことを「時宗」と呼び捨てにしていたように記されているが、これはおかしい。まず、先生は時宗師範のことを幼名の「宗三郎さん」と呼び、「時宗さん」と呼ぶことはほとんどなかった。』とありますが、この中のある本とは吉丸先生の著書のことですか?」
高橋先生 「そうです。」
私(有満) 「続いて『また同書によると、佐川先生は御自身のことを「わし」と呼んでいたとのことであるが、これも事実に反する。 (中略) ところが、私が記録する限りにおいて、佐川先生は、いつも「わたし」を使っていた。まれに「わし」を使う時もあったが、多くは往時や故郷を懐かしんで語る時であったように思われる。』とありますが、これらは吉丸先生を批判し、著書の信頼性を失わせる行為ではありませんか?」
(★ つまらないことを指摘して吉丸先生の信用を失わせようとしていることが納得いかないのです。)
高橋先生 「私はそう聞いていたから、そう書いただけです。」
私(有満) 「しかし私は吉丸先生より、日記の記述は佐川先生より聞いた内容を忘れないその日のうちに佐川先生の言葉のままに書き写したものと聞いています。佐川先生は吉丸先生の前では時宗師範のことを「時宗」と言い、唯一、近藤氏を伴って来訪された時は本人が目の前でもあり「時宗さん」と言われたそうです。大人を幼名の「宗三郎さん」と呼ぶ方が無理がありませんか。」
(★ この時、そういえば「透明な力」にも「時宗」または「時宗さん」と書いてあったな、と思い出したのですが、このときは自信がなく言い出せずに帰宅してから確認したところ、「透明な力」P.114に時宗さんと書いてありました。そのほかの箇所にも普通に書いてありますね。)
高橋先生 「・・・・・・・・・・・・、吉丸さんがそう聞いたんでしたら、そう書けばいいじゃないですか」
私(有満) 「エッ、高橋先生は『この機会に訂正しておきたいことがある。』と強く書かれて、いかにも吉丸先生が間違っていると批判されているじゃないですか。」
高橋先生 「・・・・・・・・・、私は佐川先生から聞いていたことを書いただけです。」
(★ 高橋先生、自分が書いたことに信念を持ってください。その程度でしたら、本に書く必要はないでしょう。)
私(有満) 「では、佐川先生は御自身のことを「わたし」と呼んでいて「わし」とは使っていなかったという点ですが、私が吉丸先生から聞いた話では家族や吉丸先生の前では普通に「わし」「わし」と言われていたそうですが?」
高橋先生 「私は聞いたことがないね。」「・・・・・・・・・、ただ佐川先生の「た」と言うのは小さかったから「わし」と聞こえた人もいるかもしれないね。」
私(有満) 「エッ?・・・・」絶句!
(★ では佐川先生は、自分のことを「わたし」と言われていたということですか?あまりの発言にこれを聞いた途端、私はあきれ返ってしまい自分の体から怒りがシュルシュルとしぼんで、冷めてしまいました。そして頭の中で「わたし」「わたし」「わたし」という言葉が駆け巡るのです。)
私(有満) 「ではP.163の件ですが、離門の経緯はホームページに書いてあるのですが・・・」
高橋先生 「見たことあります。」
(★じゃ、木村先生との件で、離門の経緯を知っていて、ワザと本には中傷するような事を書いたわけですね。)
私(有満) 「では吉丸先生が佐川先生に手紙を書いたとき、佐川先生は受け入れるつもりでしたが、古い門人が吉丸先生が佐川先生に会うのに猛反対をして、佐川先生も結局断念されました。という話があるのですが、その古い門人と言うのは高橋先生ですか?」
高橋先生 「私じゃないよ。私は内野さんと一緒に佐川先生から「こんな手紙を持ってくるな」と怒られただけだよ。」
私(有満) 「エッ、じゃ木村先生が嘘をついているということですか?」
高橋先生 「木村さんはそう聞いたんでしょう。佐川先生も人によって言うことを変えていたのかもしれない。とにかく私は佐川先生から聞いたことを書いただけですから。」
私(有満) 「エッ、それなら佐川先生から聞いたと言えば、何でも書けてしまうじゃないですか?」
(★ あまりにも無責任じゃないですか)
高橋先生 「・・・・・・・・・・・・」
私(有満) 「では、その前のページにいかにも吉丸先生が佐川先生に組手で挑んだようなことが書かれていますが?」
高橋先生 「組手?組手なんてどこにも書いてないよ。」
私(有満) 「その前のページです。大東流の稽古は型稽古ですから、「顔を突いて来い」とか「右手を掴んでみろ」とかいったことはやりますけど、・・・」
高橋先生 「当たり前じゃない、大東流は佐川道場だけじゃなく、どこでもそうだよ。あなたのところでも吉丸さんが教える時はそうでしょ?」
私(有満) 「・・・・・・・、でもこれじゃ、まるで小説ですよ。吉丸先生が佐川先生に本気で挑むわけないじゃないですか。佐川先生が名人だったというのには同意しますけど。」
高橋先生 「とにかく私は佐川先生から聞いたことを書いただけです。」
私(有満) 「ではうちがホームページで反論しても良いということですね。」
高橋先生 「いいですよ。」
私(有満) 「ではまた質問がありましたら、お電話させていただきます。」
(終了)
メモをとりながらのやり取りでしたから、大体、正確に再現できたと思います。
高橋先生、許可を頂いたので再現させていただきました。ホームページを御覧頂いておられるそうですので、もし反論等がありましたらメールaiki-rentai@777.nifty.jpか電話03-3378-6926で御連絡下さい。もし留守でしたら伝言を残していただければ、翌日にこちらからご連絡いたします。
よろしくお願い致します。 合気錬体会総本部 有満庄司
平成19年9月2日(日)
よく「合気とはどういうものでしょうか」とか「これは合気なんでしょうか」といったご質問をうけるのですが、合気の定義は先生や派により様々です。ですから人により合気錬体会でいう合気とは意味合いが違う場合もあると考えています。
合気錬体会の合気とは、故佐川幸義先生の60歳から74歳までの体の合気を吉丸慶雪総師範の弛緩力理論により再現したもので「気を合わすという体術原理により、相手を無力無重化すること」です。私は、この合気の定義に絶対の自信をもっています。そして合気は柔術の極意となるものです。
以下は、柔術の上級者と思われる方からのご質問に答えたものです。
○○様、こんばんは。 メールを拝読いたしました。 私と似たようなことはできるが、合気かどうか分からないということですね。 合気の定義が違えば、内容も違ってきますので○○様が考えられている合気と 当会の合気とは違っているかもしれませんが、はっきり分からないという事は 合気ではないということです。 合気というのはできるようになった時点で合気と分かります。 相手の力が抜けたり、力を使わずに投げたりできますから、はっきり自分で 分かるのが合気です。 もっとも体術で気を合わせるということが分からない時点で違うと思います。 この場合の「気」とは気功とかの「気」ではありません。 佐川先生は、技に気をのせると口伝にありますように気を否定しているのではなく、 ことさらに「気」を強調することはない、いわゆる「気」の作用で人がどうこうされる ようなことは無いといわれているのです。 宗教や気功と、真剣勝負の武術とは違うということです。 合気上げは、錬体会のホームページににありますように武術体と弛緩力の養成法です。 上級者には初歩の合気の習得法ともなります。 しかし長年やっていますと力でも上げられるようになりますし、合気投げのようなことも できるようになりますから、やはり合気というのは中身の問題になります。 > 私の想像していた合気上げは、相手を電気が走ったように硬直させ力が入らなく > なるような事を想像していましたが、またそれは違うやり方なのでしょうか? これは相手の力をとって返せば、そうなることもありますが、ケースバイケースです。 合気錬体会総本部 有満庄司 追伸・・・合気が本当に分かれば、こと武術に関しては迷いがなくなります。 迷っている時点で違うということです。 |
合気を固定概念で考えることは止めた方が良いです。こういうものであると決めつけた時点で柔軟な発想ができなくなります。合気をとるには、統一体になるとともに頭が柔らかくなければなりません。(^^)
合気の現象には、相手が無力化し軽くなる、くっつけたりはじいたりができる、くっつけた状態で相手をコントロールできる、等の特徴があります。そして他にも数々の特徴があるのですが、それらは合気が体得できれば自然に分かってくるものです。合気を知らない人がそれらの現象だけ見れば、摩訶不思議なものとして見えるかもしれませんね。
しかし合気の原理そのものは決して難しいものではなく、中学生レベルの知識があれば十分に理解できるもので、もちろん特殊な能力等を必要とするものではありません。その簡単な原理から、研究と努力により段々と細かく精妙な技術へと進化・発展していくのです。
佐川幸義先生口伝 昭和45年1月9日 1.柔術は武術の母と言われ、その柔術の極意が合気である。 |
平成19年8月24日(金)
ここ2ヶ月はもっぱら技術的なものより体を鍛えて合気之錬体レベルを上げることを第一に考えてきましたが、仕事が忙しくなかなか思ったほど鍛えられず残念です。理が分かっても体を鍛えなければできない技術があるのです。
体を鍛えることが大事です。もっとも合気が分からないうちに鍛え過ぎると、力みから筋肉が本来の動きを邪魔することがあります。そうなるとちょっと厄介ですね。
伸筋制御運動の原則にのっとって鍛えること、これが体作りの基本です。考え無しに鍛えると遠回りすることになりますよ。
それから合気において一番大事なことは身体感覚でしょうか。始めは体の表面的な感覚に気持ちがいくのですが、段々と内側深くに気持ちが届くようになります。純粋に体の内側の筋肉の働きだけで相手の力を抜いたりするには、こういう内部感覚の発達が絶対に必要なのです。
だから何度も言うように、佐川派大東流では先ず「上げ手」をやり、体作りとともに「小手之合気」「手の内」の習得に努めるのです。肉体の中で一番感覚が鋭く器用な手でできないことが、どうして体でできるようになるでしょうか?
体性感覚における「ペンフィールドの地図」の手の区分がかなり大きいのをみても手の感覚や器用さは分かりますね。
内部感覚を働かせ筋肉を訓練することで、動かなくなった筋肉を自在に動かすことができるようになるのです。これが合気には絶対必要です。
そして合気が分かって内部感覚が発達してくると、体の中の自然ということがとても大事になってきます。
平成19年6月24日(日)
本日の講習会は、思っていたよりも参加者が少なかったのですが、でもそのおかげで参加者全員の手を十分にとることができたと思います。
一人一人の手をとって「初歩の合気=弛緩力」に始まって「中級の合気=相手の力をとって合気をかける」の解説と実演をやりました。参加者が多い場合、とてもここまではできませんから、今日の講習会に参加された方はちょっと御得だったのでは?と思います。
「体術で気を合わせる」という合気原理はやって見せることはできても、取得できるかは本人次第なのです。
ただ合気はヒラメキというか、開眼するというか、悟りといえばよいのか、わかる人には一発でわかってしまうこともあると思いますので、ある程度基礎をやった人の中には、見ただけで合気をとってしまう人もいるでしょう。でもそういう人は稀だとは思います。
故佐川幸義先生が技を映像に残すのを嫌ったのは、そういうタイプの人間が存在することを知っていたのかもしれません。
また見ただけではわからなかったのが技をかけてもらえばパッと分かる人が少数ですがいるはずですので、本当は受けをとらせる人は選ばなければならないのです。もちろん講習会ですから「初級の合気=弛緩力」は全員に体験していただきます。力いっぱいに頑張るのを「初級の合気=弛緩力」で簡単に崩したり倒したりしますが、中級レベル以上の合気の柔らかい感触には独特のものがあり体験しないと分からないものです。
ほかにも肩の弛緩力を体験してもらいました。両手で右肩を押さえつけるのを私は2mくらいポンとはじき返すくらいのつもりで軽くやったのですが、合気之錬体レベルが上がっていた為か、3〜4mくらい飛んで倒れそうになり頭を打つのではと心配しました。
合気上げの応用を見せた際には、あからさまにやりすぎて秘密のポイントがもろばれだったかもしれませんね。(^−^)
そして今回の講習会で一番不思議に思えたのは、やはり帯取りの合気ではなかったでしょうか?諸手で帯取りしたのを1回目は重心の操作だけで倒したのですが、2回目は私はほとんど動くことなく相手が少しずつ崩れ始め力なく倒れてしまったのですが、見ている人にはやらせにしか見えなかったでしょうね。たぶん受けをとった人にもなぜ自分は倒れたのか理由が分からなかったと思います。
最後に「手の内」の合気を見せて終わりにしたのですが、諸手で右手をガッチリと押さえたのを私が右手の指を2〜3本チョロチョロと動かしただけで相手が尻餅をついて倒れてしまうのもちゃんと理由があるのです。しかし見ている人には「???」と不思議に見えるでしょうね。(^−^)
平成19年6月15日(金)
「合気の悟り」以降、私には毎日のように新たな発見とヒラメキがある為、その報告は必要最低限にしようと決めているのですが、またどうしても書いておかなければいけない発見がありました。
まだ「真之合気(進化する合気)」というものがどういうものなのか分からない方には、「そんなに体の技術ってあるの?」と疑問に思われるでしょうね。
私も3年半前までは、同じでした。稽古後、稽古仲間のMさんと一緒の帰り道で「今日も一度も褒めてもらえなかったね」「う〜ん、難しいね」「いつか分かる日が来るのかね?」等と話しながら帰ったものです。懐かしい思い出です。(^-^)
合気をとっても今の技術に満足してしまえば、たちまち進歩は止まってしまいます。しかし体を鍛え、「もっといい方法があるはずだ」と考え続ければ壁が破れ、そこから新しい考えが生まれてくるのです。それとともに体も変わってきます。
体を鍛え、考え続けることによってしか、達し得ない境地が現実にあります。これは言葉や知識だけでは駄目です。自得し体で理解するしかありません。
合気といっても色々なレベルがあり、「合気をかける」という中級のレベルまででしたら、良師に指導を受けることで誰でも取得可能です。それで満足される方もいるでしょう。でもせっかくすばらしい世界があるのですから、「真之合気(進化する合気)」を目指し自得できるように頑張って欲しいです。
「真之合気(進化する合気)」というのは、まさにその世界に開眼しなければなりません。
人は歳をとると変わりにくくなります。子供の頃は色々な面でまだたくさんの可能性を秘めていますが、大人になる頃にはだいぶ狭まってきますし高齢になるとまず変わろうとしません。これは武術でも同じです。でも「真之合気(進化する合気)」による「変身の原理」に気づけば違います。私はここで新たに確信をもって断言します。
「いくつになっても人は変われるし、進歩することができるのです。一生が修行です。」
平成19年6月4日(月)
昨日(6/3)に身体鍛錬の根幹が分かりました。つまり身体のどこをどういうふうに鍛えれば一番効率よく強くなるかということです。鍛錬ということは身体訓練の延長上にあるというのが私の考え方ですが、その鍛錬も健康に有益となるように鍛えねばなりませんし、継続により年齢の壁をも越えられるようでなくてはなりません。その根幹が直感的に分かったのです。
どうやら鍛えることにより体が変わり、合気の大きな変化がくるのが約3年ということのようです。合気之悟り以降、3年3ヶ月が過ぎて大きな転機を迎えたのでしょうか?色々なことが分かってきましたし、またできるようになってきました。
そして本日、「手の内」の合気についてまた新たな発見がありました。故佐川幸義先生は「手の内」の合気を大事にされていましたが、それはそこに合気の秘密があるからなのです。武田惣角先生の伝えた大東流が花手型を開くのはちゃんと意味があるのですが、残念ながら今ではおざなりにしている所がほとんどのようです。ですから合気錬体会では佐川幸義先生の60〜75歳の「合気の術」の教えを守り、大事に後世に伝えていかねばなりません。
佐川幸義先生口伝 1967.3.21 手の内の合気、小手の筋肉をもっと器用に動かすよう訓練すること。 |
平成19年5月29日(火)
本日、上げ手鍛錬法(合気上げ)における質的進化がありました。上げ手鍛錬法(合気上げ)は合気之悟り以来、絶え間なく変わり続けていますので別によくあることだったのですが、今回の質的進化によりある小さなヒラメキがありました。するとその小さなヒラメキを元にまた新たなヒラメキがあり、そしてまた新たなヒラメキが生まれるというヒラメキの連鎖があったのです。
そしてそのヒラメキの連鎖の末に、新たな無力無重化の合気技術を発見しました。それは相手が触れたか触れないかの一瞬に力を抜き浮力を掛ける技術です。もちろん今までも似た技術を使ってきましたが、中身と質が違います。第一に速さが違います。
新たなと言ってもおそらく故佐川幸義先生は当然気がついていた技術なのですが、私がぼんくら過ぎて今頃気がついたというだけのことです。これは本当にすばらしい技術です。この合気技術の発表は絶対にできないことですが、たとえ個人的に内緒で教えたとしても合気之錬体のレベルが上がらない限り、そう、体がそのレベルに達していない限り絶対にできない技術です。
この合気技術発見の元になった上げ手鍛錬法(合気上げ)というのは絶対に力んでやってはいけないのです。力めば力み癖が抜けなくなります。そうなると本当に上達が難しくなるのです。でも大東流を長年やっていますと力ではあっても初級〜中級者を相手にはまず上げられないという事はなくなりますし、転がしたりということも比較的簡単にできるようになります。すると本質的にはできていないのにもかかわらず自分はできていると思い込んでしまうことになります。自分はできていると思えば上達しません。自分にはまだまだ足りないところがあると真剣に研究を積まなければ、その技術と質の進化はおきないのです。
そして上げ手鍛錬法(合気上げ)により、あるレベルの極意に達すると上げ手鍛錬法(合気上げ)の極意型に気がつくはずなのです。普段稽古している型とは全く違う別の形と動きの上げ手鍛錬法(合気上げ)があり、これに気づくことで更に進化が加速します。私は合気之悟りの約半年後に気がついたのですが、教えてくれと言われても教えるわけにはいかないので黙っていました。もちろん今後も教えることはしません。なぜなら鍛錬により自得することが大事だからです。
いつか今日発見した新たな無力無重化の合気技術を完全体現できれば、課題としているいくつかの事柄も更に解決してくると期待しています。
佐川幸義先生口伝 1973.6.2 大雑把にいって、合気は浮かせるか泳がせるかである。 |
平成19年5月27日(日)
本日の講習会において気がついたことがありましたので少し書いてみたいと思います。
合気というのはレベルの差はあっても誰でも使うことができます。もちろん体力で成人男性に劣る老人・子供・女性でも大丈夫です。合気は力ではないので理論的にはなんら問題はありません。ただ体を鍛えていない人はどうしても力んでしまうので難しくなってしまうのです。
力めば、特に肩に力が入れば合気どころか簡単な弛緩力さえ使えません。
今日は相手がガッチリ掴んで動かせないようにしても指一本分の力で簡単に動かすことができる弛緩力合気の基本技を数手やったのですが、私の解説を受けて頭では理解していても、実際に相手に力で押さえられると相手の力に反応して力で対抗してしまい、結局動かすことが難しくなってしまうということが多々ありました。原因は力むという悪癖です。
日常では生活動作の中に力むということが意識する・しないにかかわらず多く含まれます。なぜなら屈筋主体の力感覚と動きになってしまっているからです。
だから頭では力は必要ないと分かっていても体が勝手に力んでしまうのです。ですから伸張力訓練法により、どんな時でも絶対に力まず自在に動ける体を作っていかなければなりません。
あと本日の講習会から統一行法を取り止めました。理由は統一体作りの前に、力まず自在に動ける体作りからやったほうが良いと気がついたからです。自分ができるからといっても急ぎすぎないほうが良いようです。それで弛緩力合気の時間を多めにとることにしました。
また歩法も取り止めようかと考えたのですが、歩法は日常生活の中で色々と工夫できますので、もうしばらくは続けてみようと思います。
ほかには今回の講習会から最初に模範演武と解説をやることにしました。私は説明の為の演武とか演武の為の演武というのをあまり好きでない為、今までは必要以上にはやらなかったのですが、試しにやってみたところ、参加者の目の輝きが違うのに気がつきました。
地味な伸張力訓練法もいつもより活気がありました。(^−^) なぜやるのかという目的意識が出たからでしょうか。
剛之弛緩力合気による強烈な崩しと飛ばしはまだ理解できるとして、柔之弛緩力合気による技は見た目にも不思議だと思います。(念の為に申し添えますが、会場が床ですので危険防止のために投げはほとんどやりません。受けが慣れていないと平衡感覚を狂わされる様な感覚があるようなのです。)
立ちで私の右腕一本を受けの両手でガッチリと体重を乗せて押さえつけてもふわりと爪先立ちに浮かされてしまったり、両肩取りで力一杯に掴んで踏ん張っても私がふんわりと撫でるようにするだけで膝から崩れ落ちてしまうのは理解しがたいようです。
そしてこういう合気技を目にすると早くできるようになりたいと思われるでしょうが、基本ができずには無理です。急がば回れで、基礎造りして基本を積み上げることが早道になるのです。
また今まで講習会に参加された方にお願いがあるのですが、秘伝を知っただけでは宝の持ち腐れです。ぜひ普段の稽古の中に弛緩力(力まない伸張力)をいかしていただきたいのです。そうすれば必ず変わってきます。変わってくるのが分かれば稽古が面白くなります。使うコツは稽古相手に気づかれないようにさりげなくです。あとは毎日の一人稽古をしっかりやって体を変えていくことです。講習会の参加者の方が上手くなることで、錬体会の講習会の評判が高くなることを期待していますので、よろしくお願いいたします。
錬体会は月に一度の講習会が稽古であり、後は一人稽古のみですから併習可となっており、他武道をやりながら稽古に来る方がほとんどです。ですから弛緩力の感覚が分からなくなれば遠慮等せず、また講習会に御参加下さい。
平成19年5月24日(木)
本日、合気之錬体レベルが上がったことにより課題の一つであった相撲のように四つに組んだ体勢から一瞬にして倒してしまう合気技が可能になりました。以前から単に無力化して崩したり倒したり投げたりはできていたのですが、突き身返し等の技と違ってガップリ四つに組むと動きを制限される為にどうしても「崩す→投げる」の2拍子になってしまっていました。しかし合気之錬体レベルが上がったことにより今までの合気技術に一手を加えることができるようになり、1拍子で瞬間に倒すことが可能になりました。
これは本当に難しかったです。理論的には可能なことは分かっていましたが、昨日までの自分には何かが足りないと感じていました。
今までの四つに組んで「崩す→投げる」の2拍子でも、崩した時点で相手は抵抗できないのですから実用には十分なのですが、そこで満足してしまうとそれ以上の深い研究に発展せず進歩も止まってしまったでしょう。
しかし本当に体を鍛えるというか訓練し続けるということの大事さが良く分かります。体ができなければ絶対にできないことがあるのです。
合気は体の技術ですから、まず訓練によって自由に動く体を作りあげていかなければならないのです。
平成19年5月20日(日)
先日5月15日に脚弛緩力に新たな発展がありました。詳細は書けないのですが、この総本部雑感記は私の進化記録を残す意味もありますので勘弁してください。私は合気の技術の詳細を書き残すことはしないと決めていますので、その大きな発展があった時に自分だけが分かるように書いています。
そんなに変わるのかと疑問に思われる方もおられるとは思うのですが、「真之合気」をとれば、その体の技術は無限に進化します。もちろん人としての限界はありますが・・・。
こんなに体の技術ってあったのかと本当にビックリするほど色々なことが分かってきます。弛緩力合気の世界と言うのは入り口こそ狭いですが、入ってしまえばトンデモナク広大な世界です。そしてその人のレベルに合わせて、様々な体験をさせてくれます。昨日まで考えもしなかった技術が、合気之錬体のレベルが上がるのに合わせて閃いてくるのです。まさに体から自然に生まれてくるのです。パッとヒラメクのです。
それには技術がどのくらい体にしみ込んでいるかと言うことが大切なのです。これは体を訓練し続けなければ絶対にできない世界です。そして疑問を持ち考え続ける必要があります。合気は取ってからも常に精進することが大事なのです。一生が修行なのです。
「合気は不思議だ!」とよく言われますが、それは理が分からないからです。私には不思議でもなんでもなく、そうなるのは当然なのです。理が分かれば自由自在にやれる、それが合気ということです。
私のような凡人でも合気をとれれば、体格や力でまさる方、運動能力の高い方、武道の高段者を相手に自在に技を掛けることが可能なのですから、周りから見れば確かに不思議には見えるかもしれませんね。どう見ても少しも強そうに見えない小太りの人間が、物凄く強そうに見える方(大抵は見た目通りに強い)を軽く投げたり倒したりして、しかもその方が頭を打ったり怪我したりしないように気を使っているのは違和感があると思います。
私は講習会では中級の合気までしか使いませんし怪我をさせないことを第一に優先させていますから、講習会などで使っている合気の身体能力は多めに見て2割くらいでしょうか。それ以上になるとブレーキが効きにくくなって危ないのです。講習会には色々な方が来られますし、イタズラで試される場合もありますから、問題が生じないようにとても気を使ってます。
合気は私のような凡人の使う合気でも効果絶大ですから、いつか講習会受講者の中から才能のある方が合気を自得されれば、私を軽く越えて素晴しい能力を発揮されるようになるでしょう。楽しみです。
佐川幸義先生口伝 昭和39.11.15 【三元講習 第九回】 大東流の中でもどうして崩れるのか合気の理が判っていて技を掛けている者は居ない。理は判るものではない。技は人間の骨格、力学から割り出した理に合ったものである。合気は必ず理で説明出来るものでなければならない。神秘的なものなど無い。 |
平成19年4月8日(日)
佐川幸義先生口伝 1974.10.6 (略) 初心者はこれに熟練しなければならないが、上わ手になれば先に体を開いても、どのようにしてもよい。型に固執してはいけないが、最初は型通り覚える。佐川派大東流はこの型はこうと決めつけてはならない。 |
初心者はまず簡単な型を習うことから始めますが、その際に先輩から「右手の位置はここ、左手はこちらに置き、手は開いておく。足はこのように移動する。」というふうに詳細に指導を受けます。そしてそれは正確にその通りに動けなければならないのです。
なぜならそれは佐川派大東流として守らなければならない最低限の型の拘束だからです。細かいことを言ったらキリがないが、このくらいはできなければ佐川派じゃない、というレベルの型です。この型を繰り返して熟練し無意識にもそのように動けるようにならなければなりません。
頭で考えなくても体がそのように無意識に動くようになってはじめて、もっと細かいところまで気持ちがいくようになるのです。
車の運転が始めは運転することだけ目の前のことだけだったのが、慣れるに従って周りの風景を楽しむ余裕が出てくるようなものです。
技も「右手はここ、左手は・・・」なんてやっているのは初心者で、上級者は見た目は同じ動きでスーッと動いていても気持ちは皮膚の下の筋肉の緊張や弛緩の状態、関節の角度、骨の位置などにいっているものです。このように気持ちを体の内側に向けることを「内部感覚」といいます。
もちろん「内部感覚」にもレベルがありますが、最低限の「内部感覚」があってはじめて術理も使えるようになるのです。
術理が使えるようになれば、型のとき、相手に合わせて先に体を開いても、どのように動いても技が効くようになるのです。こうなれば必要以上に型に固執することはありません。しかしそうなるまでは型通り覚え型通り動かなければならないのです。術理は型にあり、です。
もちろん伸筋制御運動の鍛錬により心身の統一から合気之錬体になり「真之合気」を取得すれば、「動けば合気」となるので型からは自由となり、武における融通無碍の境地が得られるでしょう。さらにレベルが上がれば「自然に動けば技となる、体から技が無限に産まれてくる」レベルに達すると思います。
そうなれば「佐川派大東流はこの型はこうと決めつけてはならない。」という言葉の意味が、頭ではなく体で理解できると思います。
平成19年3月24日(土)
先日、メールで「資料のDVDを見て学習する事により合気を習得する事はできるのですか?」という趣旨のご質問をいただきました。
ご尤もな質問で、他にも同様な疑問をお持ちの方がいらっしゃるだろうと思い、こちらにその返信内容と解説を載せておきます。
こんばんは。ご質問の件ですが、DVDに意味がないと思っている方にはあまり役に立たないと思います。 合気は自得するところが重要であり手取り足取りして教えたものは、それらしく見えても合気もどきにしか なりません。 映像や本などはあくまで資料であり、そこから何を掴むかはは本人次第なのです。 DVDは本物です。当然、術理と解説が多数あり、合気道の高段者であればDVDの映像をヒントに合気を 自得できるかもしれません。しかし初心者の方には絶対に無理です。 でもDVDを見て上達の為の訓練はできます。それが将来の合気自得まで行くかは、やはり本人次第です。 たとえば牛を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲むことを強制はできません。飲むか飲まないかは 牛次第なのです。当たり前ですが。 たとえ話が多くて恐縮ですが、象という生物を知らない人に「鼻が長くて大きい生物だよ」と口で説明しても 理解できないと思いますが、本や映像で見れば分かります。でも象使いのところへ行って実際に触らしてもら えれば、もっと良く分かるでしょう。たとえですが、この象使いが先生であり実際に触れることが秘伝伝授と いうことです。 合気錬体会総本部 有満庄司 |
DVD等の資料を手に入れても、一度目を通しただけでは、まずほとんどの人には術理体得は無理です。何度も繰り返し見て、人をつかまえて動きや型をマネしてみる位のことをしなければ、理解できないと思います。地道な稽古無しに何事も上達はできません。
佐川先生の口伝に以下のものがあります。
1974.10.6
(略) 初心者はこれに熟練しなければならないが、上わ手になれば先に体を開いても、どのようにしてもよい。型に固執してはいけないが、最初は型通り覚える。佐川派大東流はこの型はこうと決めつけてはならない。
「技は力まず自然に動くことが大事で動けば技となる」というのは上級者の話で、初級〜中級者は型通り正確に覚え繰り返すことによりその内にある術理を身につけることが重要です。特に初級者は型を区切って練習し、正確に師範の技をマネなくてはなりません。
佐川先生も「教えるということはマネさせることだ」と言われています。本やDVDの資料により解説を知り、また吉丸先生の動きをマネすることにより、その術理を理解することができます。
術理が分からず動きも素人のままで、いわゆる「流れ稽古」ばかりをやれば達人気分は味わえても、いずれは行き詰るのは見えています。過去の名人・達人といわれた方々は、皆いわゆる固い稽古を積んだ方ばかりです。
上記の返事を出しましたら、ご丁寧に返事をいただきましたので、以下のように追伸いたしました。
ご質問につきましては、全く気にしていません。 佐川先生に直伝を受けても合気習得は難しいのです。疑問に思う方がいて当然です。ただ求めなくては得られ ないのです。タナボタ式に上を向いて口をあけていたら、偶然、合気が落ちてきたなんてことは絶対にありえま せんから。(笑) 実質佐川道場の師範代で佐川先生の受けをとり続けた吉丸先生ですら佐川道場辞去後30年間も考え続けて、 ようやく解明したのです。その吉丸先生の入院中の直伝を受けて、私が合気を自得したのも事実です。 でも吉丸先生の入院中、他にもお見舞いに来て直伝を受けた方が数名います。(これは先生も生きるか死ぬか の瀬戸際だったので必死だったのだと思います。そうでなければ当時、錬体会では下っ端だった私に直伝の チャンスは無かったと思います。)しかし私以外には誰も合気を取れませんでした。 このことからも合気習得の難しさが分かります。ただ合気の定義も人により色々ですから、錬体会としては合気 に対して色々なアプローチの仕方があって良いと考えています。錬体会の合気が絶対だと主張するつもりはあり ません。ただ合気之術理というからには、体格や力にまさる相手が本気で頑張っても自在に技を掛けられるよう でなければなりません。 結局、DVD等の資料は受け取る人のアンテナ次第なのです。準備のできた人は相当の情報を得るでしょう。 一回見て「ふーん」と分かった気になって後は見ない人は何も得られないかもしれません。繰り返し見て少しずつ 理解を深める人も多いでしょう。 錬体会の資料提供は、合気の情報を求めても得られない人に発信しているものです。 合気のできる立派な先生についている人には必要の無いものかもしれません。 合気錬体会総本部 有満庄司 |
合気といっても「弛緩力=初歩の合気(合気充満の腕とかのレベル)」 「弛緩力で崩す=合気を掛ける(中級レベル)」であれば指導を受け訓練を積むことにより誰でも体得できます。私が自得が難しいと言っているのは、「真之合気」であり「進化する合気」のことです。
それを佐川先生は「合気は体の技術、気を合わすこと、無力化すること」と言われました。
私は吉丸先生の御指導により「真之合気」を自得したことで、「合気は伸筋制御運動という体の技術により気を合わすことであり、無力無重化すること」と理解・体得しました。これは頭ではなく体で会得したのです。「真之合気」は、頭の知識で知ってもできるようにはなりません。だから絶対に「真之合気」は自得しなければならないと断言します。
他にもこういうご質問をいただきました。「弛緩力を使っているスポーツ選手はいますか?」
こんばんは。弛緩力といっても何か特別なことではなく、伸筋を使った合理的身体操作のことを単に弛緩力と呼んでいる だけのことですから、プロになるような人はレベルの差はあっても皆、弛緩力(伸筋制御運動)を使っていると思います。 ただどのくらい認識をしているかは別ですが。 昔からあらゆる芸事やスポーツで「リラックスしろ」とか「肩の力を抜け」、「体を柔らかく使え」などと指導されるのは、単なる 力ではない世界があることを体験的に知っているからだと思います。 そして弛緩力を完全に認識して使えるようになると、その人の身体特性を活かした動きが可能になりますから個性がハッキリ 出ます。スポーツの一流選手でフォームを見ただけで誰とハッキリと分かる人は、弛緩力をマスターしているといえます。 名前を挙げるのは、選手本人に失礼になると申し訳ありませんので止めておきます。ピッチャーの投球で分かりやすいのは、 スピードに関係なく手元で球が伸びるのは弛緩力のレベルが高いといえます。馬力で投げる球は速くても伸びが無いので 打たれやすいようです。 伸びがあるのは回転数だといわれますが、指先まで弛緩力が効いているので回転をかけられるのだと思います。 合気錬体会総本部 有満庄司 |
弛緩力を力(ちから)だと勘違いしているうちは、なかなか体得できないと思います。弛緩力とは伸筋制御運動という絶対に力まない伸筋の合理的身体操作のことで体力・年齢・性別に関係なく体得できます。ただレベルの差があるだけです。
これを理解し体得すると、その人のやるあらゆる技芸が上達・進化しますが、普通、人間は力むものですから力んで鍛えるほど体得から遠ざかっていくようです。
私は武術では弛緩力を発揮できますが、ゴルフとか野球では使う筋肉の違いもありますので、当然、武術のようにはいかないと思います。ただ興味を持って習えば普通の方よりは上達は早いと思いますが、ただそれだけのことです。
平成19年2月12日(月)
今朝、目覚めたら何故か内部感覚(内部弛緩力の働き)がレベルアップしていました。昨日、「合気教室」で指導した内容に何か良い事があったのでしょうか?合気之錬体のレベルアップは突然くることも多いので全く驚かせられます。
いつものことながら、実は内部感覚がよりハッキリしてしまうと昨日までの自分のレベルの低さにガッカリしてしまいます。自分ではソコソコ出来ていたつもりでいたことがとても恥ずかしく感じてしまうのです。レベルが上がったことはとても喜ばしいことなのですが、同時に昨日までの自分のレベルの低さを認識させられてしまうのです。
どうしてもっと早くこのことに気づかないのか、ちょっと角度を変え物事の道理をもっと掘り下げておけば、もっと早く気づいたのではないのか?身体の鍛錬をこっちの方向からもやっておけば良かったのではないのか?など、反省しきりです。
空間之合気もちょっとは使えるレベルになったなどと思っていましたが、まだまだ仮免のレベルにもならないことが分かりました。本当に奥は深いです。
自分の稽古後に突然レベルアップすることも多いのですが、「合気教室」などでの指導中にたびたび閃いたり、今回のように指導後に突然レベルアップすることも多いのです。指導する立場になって「自分は先生」などと思ったら大間違いですね。指導しながら逆に教わることも多いのですですから、慢心すれば進歩が止まってしまうでしょう。気をつけなければならない点です。
平成19年1月21日
3月から「弛緩力合気と拳法」の講習会を会員向けに開く予定になっています。それで合気教室にて弛緩力合気に加えて少しずつ弛緩力拳法を指導し始めたのですが、「人間動作・生活動作で屈筋優位の力感覚」になっている人に「弛緩力の伸筋優位の力感覚」を教えるのもなかなか大変なのですが、「先」の概念と「出る」「入る」という体の感覚を言語化して教えるというのはもっと難しいです。私は体得・体現しているので、ごく当たり前のことなのですが、言葉だけでは難しいので見てもらって感じてもらって体で覚えてもらうしかありません。もちろん、術理をなるべく分かりやすく噛み砕いて指導できるよう頑張りたいです。
「先」の概念は、その境界線が曖昧で解釈も先人達によって色々ですが、概ね「先の先」「對の先」「後の先」の3つに分類されるようです。ただこの呼び名も人により色々です。
「出る」「入る」というのは佐川先生口伝にある「勝負一本、出る」ということです。「真っすぐ、出る」「真っすぐ、入る」というのが基本になるのですが、私にとってはごく当たり前の身体感覚でも身体軸がない人にとっては難しい感覚のようです。
「沈身」「浮身」は内部感覚による自身の重心操作ですが、本来は動きの中で自分の内側に意識を向ける訓練を積まなければ習得できませんでした。しかしさすが佐川先生です。良い方法を残してくれています。どう教えるかというと条件反射的に自然にそうなるように体捌きを訓練すれば良いのです。
その方法は・・・・ 講習会までマル秘です。(^−^)
平成18年10月17日
昨日10月16日に合気之錬体レベルが上がって、体だけでなく心の成長期にも入りました。
自分が確実に進化し成長を続けているというのが、嬉しいです。本当に素晴しいですよ。
合気之錬体レベルが上がることにより、体が強くなれば心も強くなり、また心が強くなることにより体が強くなるということが理屈ではなく体験として実感として分かります。心と体が一致して成長してくるのです。進化するのです。
心技体の一致ということも体感として分かります。特に技に精神力(心の作用)をのせることが非常に大事なのですが、それは体ができ技術があってのことです。
どれか一つ欠けても駄目です。
そして一番大事なことは考え続けることです。せっかく人間に生まれたのですから頭を使うことが非常に大事です。技術もそうですが、体を鍛えるのにも頭を使わなければ故障が多く遠回りになってしまったり後退する場合もあります。
私の場合は鍛えるというよりも訓練するという方が近いですね。私は鍛錬というものは体の正しい訓練の延長上にあると考えていますので、毎日、力まない伸筋制御運動によって体を訓練しています。これにより確実に変わってきますし、体が変わってくれば鍛え方のポイントが分かってきます。
念の為に注意を促しておきますが、まだ合気がよく分からないうちにヤミクモに鍛えると(特にウエイトトレーニングなどで)、力み癖をつけてしまい取り返しのつかないことになります。まず伸筋制御運動(弛緩力)の訓練により力まない習慣を体につける、力まないことを体に覚えこませること。そして訓練の積み重ねによって肩の力が抜けた絶対に力まない体(合気之錬体)を作ることが最重要なのです。合気之錬体のレベルが上がれば、体から自然に技が出てくるようになりますよ。
生まれてから身に付いた体の動かし方の様々な癖(人間動作、生活動作という)を直さずに鍛錬してもその癖がひどくなるだけです。直すには正しい動きを徹底訓練して身にしみ込ませるしかないのです。
故佐川先生も「運動が大事だ」と言われていますが、それは伸筋制御運動のことだと考えています。まず今の自分に必要な伸筋制御運動を訓練するのです。そうして理屈に合った運動をしているうちに、どうすればどうなるということが段々と分かってくるものです。
鍛えるということは身体の必要なところに必要な筋肉をつけるということです。合気は力ではないのですが、その習得の為には身体がいったん強くなることは絶対に必要なのです。
平成18年8月19日
先日の8月10日に合気之錬体レベルが上がりました。徐々に身体感覚が磨かれてきた為か、以前より正確にレベルアップしたことが自覚できるようです。そして今回は特別といってよいほどの大幅な進歩がありました。自分でもビックリです。
今までも自在に技をかけてはいましたが、その技が一見同じようには見えても、中身がここまで変わるとは驚きです。
本当に合気には無限の可能性があります。まさに進化し続けるところが「真之合気」の特徴の一つと言えるのでしょう。
私は今回のレベルアップにより「高速合気」の最低レベルに達しました。以前に「伸筋制御による無負荷・無限加速度運動の原理」に気付いたことを書いたことがありましたが、それが思ったより早く実用レベルまできたようです。当初は10年位は掛かると踏んでいたのですが、自分でも不思議です。
またなぜ今回の合気之錬体のレベルアップが特別かといいますと、今まではどちらかというと体質変化がメインであったのですが、今回は大幅な技術的進歩を伴ってのレベルアップであったからです。大変化した「合気之悟り」以降は、技術的進歩はヒラメキによるものが大部分でした。もちろん日々の小さな気づきは数限りなくありました。合気の進歩はヒラメキによるといっていいでしょう。
それが今回は2度目の「合気之悟り」と言ってよいほど、体質的にも技術的にも大進歩がありました。
それは主に次の3点によります。
1.中心の確立
身体感覚が鋭敏になったことにより身体の中心が正しい位置に収まりました。今までは未熟な為、微妙にずれて動いていました。
身体全体の中心というのは一点です。人には皆中心がありますが、正位置の近くにあるほど身体能力を発揮しやすくなります。
そして身体の重心が中心の位置にピタリと重なると非常に安定して速く動くことができます。
2.波動弛緩力
体質変化と中心の確立により、弛緩力がより柔らかい波動弛緩力とでも言った方が良い状態に進化しました。
もともと伸筋制御運動には波動も含まれていますので、ちょっとおかしな言い方ではあるのですが、
実はもっとも適切な○○弛緩力という表現を秘密にして公開しない方が良いと判断した為です。
人体の60%以上は水ですので、波動弛緩力により更に小さな動きでより大きな効果を現すことが可能になりました。
3.無限加速度運動
中心の確立と筋感覚の発達により無限加速度運動をより発揮しやすくなりました。
以上の3点により大進歩し「高速合気」を実現することができるようになりました。とても嬉しいです。(^−^)
ただ困ったことも一つあります。
それは指導の際に、今まで以上に強くブレーキを効かせなければならないということです。
平成18年7月11日
先日7月2日の「上げ手講習会」に参加された方からご感想をいただきました。
講習会の様子を的確に捉えておられますし、講師であった私とは違う面からの描写と講習を受けた感想が書かれてあります。私としましては最後の「上げ手講習会」ということで特別な思い入れがありますので、お願いしまして掲載の許可をいただきました。ありがとうございます。
読ましていただいたところ、私としては今回の講習会では喋りすぎなくらい合気について解説したつもりだったのですが、それでも理解は難しかったようです。やはりまず弛緩力を十分に学習した上でないと合気は分からないのでしょう。
「弛緩力」と「合気原理」を理解・体得すれば私の言うことは全て納得していただけることなのですが、だからといって私が皆さんになんとか理解してもらおうとして、合気を詳細に言語化し手取り足取りして教えたとしても、逆に「真之合気」からは外れていくことになってしまうのです。
これが「合気は自得しなければならない」といわれる所以なのです。
やはり「真之合気」に一足飛びというわけにはなかなか行きません。それで合気錬体会では、合気錬体METHODにより基礎の体作りと初歩の弛緩力を学習させてから、徐々にレベルを上げていけるようにして合気の自得を促しています。「急がば回れ」という諺がありますように、まず体作りと初級合気である小手之合気(腕弛緩力)習得の為、毎日の一人稽古が大事です。地道に積み上げていくしかありません。会員の皆さん、頑張ってください。
先日、上げ手講習会に参加させて戴きました○○です。その節はどうもありがとうございました。 合気道を入口として、色々な本を読んだりビデオを見るうちに、どうも自分の学んでいる合気道とは
別の次元があるようだということが解ってきたものの、そこから先に進むことも他に信用に足りる技術を
公開または教授するところもなく、漠然と割り切れぬ想いを持ちつつも過ごして来ましたが
吉丸先生の本とインターネットの合気錬体会ホームページによって講習会があるということを知り
ぜひ参加したいと思いつつも、なかなか日程の都合もつかずにおりましたが今回はどうしても参加
しなければという、なにか追われる様な気持ちで参加しました所、講習会の冒頭で有満先生の
「今回でひとまず上げ手講習会は終わりとします。」の言葉に「こういうことってあるんだな〜」と心の
なかでつぶやいておりました。
さて、講習会でよく解らないながらも私の感じたこと、また受けた印象を述べさせて下さい。
1.一番はじめの合気上げですが、正直びっくりしました。私の体重がほぼ80`ですから、少なくとも
その何割かの重さが先生の腕の上にかかっていたはずだとすると?帰りの電車のなかで考えていた
のですがたとえば私が押さえていた先生の腕の上に、80`近いバーベルを置いたと仮定すると肘を
支点として前腕だけを上げることは物理的に難しいのではないかとおもいます。人間相手だからこそ
腕に加重がかからない、かけにくい状態が出来るのだと思いました。
2、先生の帯を持った状態で崩される(合気をかけられる)のは、原理はまったく解りません。が、
(個人情報が含まれる為、以下省略)
3、日頃の合気道の練習の中でいま教えていただいている先生の技は弛緩力に近いものを、感じる
ことがあるのですが、そのことについての指導法が脱力という言葉でしか成されないため、私のような 屈筋が優位で力みやすい者にとっては、そこに行き着くまでの方法が欠落しているのと同じ事なの
です。
その点「上げ手講習会」の弛緩力の説明はわかりやすかったです。
4、多分、講習会で先生が本当の合気をかけて下さったのは帯を持ったときと両手で構えて後ろに
飛ばされた時と袖持ちの時だと思います。先生の言葉の中にさまざまなヒントがあったと思うの
ですが、悲しいかな勘と頭の悪さが邪魔をしてよく解りませんでした。
5、先生に潜在能力と称して前腕の伸び具合?を経験させてもらいましたが、それがなぜ潜在能力
につながるのかというのは、最後の後ろに飛ばされるのと関係があるのかなとおもいましたが?
6、結局、合気とはこういうものだということの入口は体験できましたが、本のなかにも講習会のなかにも
原理としての答えはありませんでした。よく考えてみれば当たり前なのですが、、、、、。
ほんの半日で合気が解ればだれも苦労はしませんよね?しかしながら、こういう技術がたしかにある
ということが解っただけで非常に貴重な体験をさせていただいたとおもいます。
7、今後も機会あれば講習会の参加をさせていただきたいと思います。有満先生の人間性にも感銘
いたしました。吉丸先生の眼力かとおもいます。 上記、勝手なことばかりダラダラと書きましたが失礼のほどお許しください。
また吉丸先生の一日も早い回復をお祈りいたします。今後ともよろしくお願い致します。
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平成18年7月2日
本日、「上げ手講習会」がありましたが、本日をもって1〜2年程休止いたします。平成16年8月から約2年間やってきて、色々なことがありました。感慨深いですね〜。参加してくださった方々には参考になったでしょうか?
実は一番勉強になったのは私でした。日本全国から来てくださった参加者の方の中にはかなりの実力者の方も多く、そういう方の相手をすることで自分の力が自然と引き出されてきたようです。ありがとうございました。
不思議な運命というか、吉丸先生のご病気が始まりで、ただお見舞いに行っただけの私が吉丸先生の御指導により「合気之悟り」を得たことで今までとは全く違う「弛緩力合気の世界」に入ることができました。そして当時は絶対安静の吉丸先生の代わりに、「合気の証明」として「上げ手講習会」を行うことになりました。
吉丸先生は30年掛かって佐川先生60〜75歳の合気の根本となる「合気原理」をようやく解明したのですが、病気により「合気道極意の秘密」も執筆途中で絶対安静を余儀なくされていました。当時は吉丸先生も再起不能になるのではと考えておられたようです。詳しくは下記の「総本部回想記」をお読み下さい。
私は平成16年8月に最初の「上げ手講習会」を行うに当たっていくつか決意していたことがありました。そのひとつが「どんなに強い力で押さえつけられても軽くスーッと手を上げてしまう摩訶不思議な合気上げと謳う以上、押さえつけられて上げることができなかった場合は即、吉丸先生にお詫びして講習会を辞める」ということでした。佐川派上げ手と銘うって私が失敗するということは吉丸先生、故佐川先生に恥をかかせることになります。しかしなんとかそういうことも無く、無事終了することができました。
他には「初級合気の講習会であるので、どんな実力者が来ても初級〜中級合気までしか使わないで対応すること」、「絶対に怪我や事故が無いように気をつけること」等でした。怪我や事故については、せっかく講習会に来ていただいたのに怪我などして帰すのでは申し訳ないので非常に気を使いました。
初対面の上に全く実力の分からない方を相手に、危なくないように技をかけるのは最初のうちは難しかったのですが、そのうちに掴まれた瞬間に大体の実力が分かるようになると大丈夫になりました。
本日の講習会は最後ということもあり、上げ手では体重ごと力一杯に押さえつけにくる参加者が上げられる度に「そんなはずは無い」という顔をするのが面白くて何回も上げて見せ、たまに横に軽く倒したりしました。またいつもは中級合気は1〜2本しか見せないのですが、今回は何回も繰り返して見せた上に合気の解説までするという大サービスぶりでした。(^ー^)
参加者の方に頑張らせてから腕力でやる場合にはびくとも動かないことを確認させ、それから合気でやると私が触れるか触れないか、動くか動かないかの中に磐石だったはずが一瞬で不安定になり力が入らなくなってしまい倒れてしまうのですが、何度も「さっぱり分からない、納得いかない」という顔をされるので面白かったです。
私は力が入らなくなる訳も簡単に倒れてしまう訳もよく分かっているので何の不思議も無いのですが、合気をかけられた人は何がなんだか分からず狐につままれたように感じるようです。
また超弛緩力の実演では、いつもは頭を打つと危険なので受身の確実な人に受けを取ってもらうのですが、今回は全員に受けてもらいました。ですが用心してかなり手加減したにもかかわらず二人ほど頭を打ちそうになりハラハラしました。やはり人間は4〜5mほども飛ばされると普段はそういうことが無い為にバランス感覚を失うようです。ちょっと調子にのり過ぎたと反省しました。
他にも柔弛緩力も少しやったのですが、さっぱり分からなかったようです。やはり上げ手で剛弛緩力が分かってからでないと難しすぎたようです。
本日の講習会はサービス過剰でごちゃごちゃと内容が多過ぎてまとまりがなかったかな?と終了時に一瞬思ったのですが、最後の礼の時に、参加者が宝物を見つけた少年のように眼をキラキラとさせているのを見て、今日の講習会は成功だったのかなと思い直した次第です。
平成18年5月5日
合気については色々な方から様々なご質問をいただくのですが、その疑問に答える形で合気について少し書いてみます。
「合気とはこういうもの」ともう最初から決め付けておられる方がおられますが、合気は千変万化の顔を持つのです。決め付けずに柔軟な発想をする必要があります。頭が柔らかくないと合気は取れませんし、最低限の武術的身体ができてないとまず不可能です。
また押したり引いたり捻ったりの技巧をいくら工夫してみても駄目ですね。佐川先生も合気上げで合気のできないうちは、つかんだ瞬間に上げるとかちょっと引いてから上げるとか技巧を教えておられますが、合気ができるようになれば関係なく上げられるようになると言われています。
技巧や力・体格・年齢・性別とかいったものを完全に乗り越えてしまえるものが合気なのです。
また気功や催眠術・超能力といったものでもありません。残念ながら私にはそういった能力は一切ありませんが合気は使えています。私に合気をかけられるとどんなに頑張っていてもスルスルと簡単に動かされ崩され倒されてしまうので「え?え?え?何で?」と不思議がられるのですが、別に不思議な力を使っているわけではないのです。これは伸筋制御運動による力学といって良いかもしれません。
また最近は合気の角度と接触ポイントの研究が進んだ為か、相手のある部分にある角度でもって軽く手を置くようにするだけでも崩したり倒したりすることが可能になってきました。こういったことからも合気は体之技術だということが分かると思いますし、まだまだ無限の可能性を持っているのです。
ただ勘違いして欲しくないのは錬体を強調するあまり、心をないがしろにしているという訳ではないということです。やはり武術においては強い精神力が不可欠ですし、技に精神力が伴わなければ実用にならないでしょう。
合気錬体会には心を鍛えるのに「心之修法」「心之一法」というのがありますが、武術においては心の作用(精神力)というのは体之技術を通して活きてくることを知らなくてはなりません。
これが武術における「心身一如」ということです。
平成18年5月4日
「格闘技の試合で合気を使うことはできるのでしょうか?」というご質問をいただきました。
今まで講習会には格闘技をやっておられる方も多数参加されておりますので、初級の講習会とはいえ私の技を受けた印象は様々だとは思いますが、私が「格闘技と武術」について現時点で考えていることを返信いたしました。参考になればと思い載せておきます。
○○様、こんばんは。 御質問の件ですが、合気はもともと実戦を想定して考え出されたものですから 当然、格闘技でも使用可能です。 実戦では、相手も黙ってやられるのは嫌ですから死に物狂いの力を発揮して 抵抗してきます。 だから先人方は合気が無いと技が役に立たないと気がついたのです。 それにあの武田先生と佐川先生の性格からして、使えないものを合気とは 呼ばないでしょう。 ただ合気が使えると、余技としてパフォーマンス性の高いことができるので、 そういうものを見て「あれが合気か」なんて思い込むと、今度はああいった (パフォーマンス性の高い)技が本当に実戦でできるのか?と疑問に思うので しょうが、実戦で使う合気は確実でシンプルなものです。 またそうでなければ実戦性から遠ざかることになります。 真之合気ができると物凄く身体能力が高まるのですが、身体能力が高いから といっても勝負事は水物で、駆引きの他に不確定要素や運もありますから 必ず勝てるとは限りません。 そして技以上にお互いの精神力によっても左右されます。 だから佐川先生も「勝負はそんな甘いものではない」と言われたのです。 また別に「真之合気」までできなくても「初級の合気=弛緩力」ができれば、 それだけでも打撃力や斬撃力が大幅に増加しますから格闘技では有利に なると思います。 なぜならいわゆるヒットマッスルといわれる筋肉は伸筋群だからです。 しかし攻撃力が増すだけでは上級者には通用しませんから、上に行けば バランスのとれた防御や戦略も必要になってきますね。 合気錬体会総本部 有満庄司 追伸 一昔前は武術の勝負といえば、死合いでした。 しかし現在の法治国家においては、そして近代兵器の発達の前には 格闘技の勝負は相手との(ルールある)勝負ですが、武術の勝負は自分との (死ぬまでの)勝負になると思います。 自分が死ぬまでに、技術的に又精神的にどれほど高い境地に辿り着けるか? 現代の武術における意義は、そういうところにあると思います。 そして合気があれば、故佐川先生がそうであったように、死ぬ直前まで 進化発展していけるのだと思います。 |
平成18年4月27日
故佐川幸義先生60〜75歳の合気は間違いなく「体の合気」でした。それは主に筋肉の作用(伸筋制御運動)によるのですが、始めは筋肉を大きく動かしていても経験を積むにつれて筋肉の動きも小さく細かくなっていきます。それでいて技の効果は増していくのです。ですから佐川先生くらいのレベルになるとちょっと動いただけで相手は簡単に崩されてしまい、場合によっては大きく吹っ飛ぶということなのです。
そして佐川先生は十七歳の時に武田先生の「合気原理」に気付いて以来、毎日数時間に及ぶ鍛錬を数十年継続してあそこまでの名人となられたのです。ですから、その合気之錬体レベルは相当なものなのです。
その佐川先生が大事にしていた「合気原理」については、吉丸慶雪先生が解明して著書「合気道 極意の秘密」の中で発表されました。
「合気は弛緩力(伸筋制御運動)により気を合わせることである。」
つまりこれまで「気を合わせること」とは心構えや精神的なものと思われていたことを体術(体之技術)として解明しその定義を確立されたわけです。
そして体術(体之技術)ですから当然最低限の訓練をしなくては使えません。「合気原理」を知っただけで弛緩力(伸筋制御運動)を訓練しなくては、つまり体が素人のままでは何年たっても、いや何十年経ってもその真の意味を理解することができません。「合気原理」が分かってからが本当の意味での修行が始まるのです。
合気は体術(体之技術)なのですから、体で理解し体で会得して初めて身に付けたと言えるのです。合気は頭ではなく、体でできるようにならなければいけないのです。言い方を変えれば、「合気原理」に気づいたら弛緩力(伸筋制御運動)を訓練して身に付け体をつくり、更に鍛錬して徹底的に体にしみ込ませて初めて使えるようになるから「体之合気」というのです。そして更に「その体そのものが合気となる」ように鍛え上げていくのです。そうなれば体から自然に技が出てくるようになります。
だから佐川先生は「体ができなくては教えてもできない」とハッキリ言われたのです。
これら「合気原理」習得と弛緩力(伸筋制御運動)による錬体造りに欠かせないのが合気上げ(佐川派上げ手鍛錬法)です。ただ初心のうちは武術に必要な力と体の養成法として、絶対に力まないように気をつけてくり返しくり返し数稽古をやる必要があります。すべて何事にもレベルに応じた稽古法というものがありますので、一つ一つ積み上げることが大事です。
平成18年2月4日
先日、「女性でも合気はできますか?」というご質問をいただきましたが、その回答が初級者の方には大変参考になると思われますので、こちらに載せておきます。(個人的な内容のものは、公開は一切控えさせていただきます)
中級者以上であろうと思われる方からも色々とご質問や情報をいただくのですが、残念ながら初級者の方に誤解を与えることもありますので、それらの公開は差し控えます。
○○様、こんばんは。 ご質問にお答えいたします。 > 女性でも合気ができるようになると思いますか? > それには何が必要だと思いますか。 この答えは、女性でも子供でも老人でも合気はできます。 ということです。 合気は力ではないので可能です。 でも人間は「力を入れて○○する」という習性がありますので、 相当の努力が必要です。 合気は特に力まないということがとても大事なのですが、 体が強くないと、とっさに力が入ってしまうので難しいのです。 必要なことは「伸筋制御運動とは何か?」ということを理解するということです。 理解したうえで体を訓練していくのが大事です。 素人の素のままでは、いくら技を練習しても難しいでしょう。 体を訓練によって玄人(錬体)へ変えていくことが必要です。 男性でも女性でも、その運動に適した体に少しずつ改造していくのです。 たとえばマラソン、ゴルフ、柔道では、その訓練方法は当然違ってきますね。 女性選手も多数活躍されていますが、一流の選手であれば並の男性では 太刀打ちできません。 武術も同じです。 並みの男性では太刀打ちできないくらい、訓練すれば良いのです。 でも筋肉を鍛え上げて男性のような体になるとかでは絶対にありません。 大東流では伸筋制御運動による合気上げにより、武術に必要な体と力を養成します。 だから合気上げは勝負事ではないですし、力んでやってはいつまで経っても その理が分からないのです。 足腰の鍛錬は、ある程度はやった方が良いですが、その理が分からずに むやみに行うと腰を痛めますから少しずつやってください。 受身は倒れる稽古ですから、錬体会ではほとんどやりません。 他武道をやってきた方が、少しやれるくらいです。 でも事故や転倒などのとっさのときに急所を護るためには、できたほうが 良いと思います。 合気錬体会総本部 有満庄司 |
平成17年11月25日
この11月は合気の技術が飛躍的に発展した素晴しい月となりました。11月3日に大きなひらめきがあり新しい定理を発見したのですが、更に11月17日にそれを進展させるひらめきがあり、一つの大きな技術理論となりました。私は吉丸先生の御指導により「合気の悟り」を得てから、一つ一つ、合気技術の疑問点を解決してきたのですが、まだまだ解決できてない大きな問題点がいくつかあります。
そのうちの一つは「技の速さ」のことでした。佐川先生には非常に速い技のキレがありましたが、合気というものは本来「速さ」とは関係なくゆっくりやっても掛かるのが合気であり、そして合気を錬るにはゆっくりとした動きの方が合っているのです。特に合気の初心のうちは、むやみに早くやろうとすると相手との細い繋がりが切れやすくなるので適しません。
それでも上達するにつれて並の速さでは動けていたのですが、まだかなり不満のあるものでした。しかし今回、新しい定理により「伸筋制御による無負荷・無限加速度運動」とでもいうような技術を発見することができ、徐々に速く動けるようになってきました。これはいわゆる筋力にたよる動きではない為、高齢になっても「速さ」を維持できる可能性があります。無負荷というのは合気状態をさしており、無限加速度というのは筋力に頼らず純粋に技術的に加速することで技術に習熟すればするほど速くなる可能性があるということです。もちろん口で言うほど簡単にはいきませんので、訓練を積んで体現できるまで数年を要すると思われます。
平成16年2月22日に「合気の悟り」により、「合気原理」「剛柔之弛緩力合気極意」と「合気之円和極秘伝」を体得したことにより、「動けば合気」の最低レベルになったのですが、かなり危なっかしいものでした。しかし小さな気づきは数知れず、大きなひらめきは6回ほどあり徐々にレベルアップしてきてはいます。
わずか2年足らずでこんなに急激に変われるとは、合気とは本当に不思議ですね。
とにかく「伸筋制御による無負荷・無限加速度運動」により通常の速さとは違う速さを得ることができそうです。それは衰えない速さでもあります。しかし「速さ」の問題点はこれでかなり解決しますが、他にも疑問点・問題点が多数あり、まだまだ先は遠いです。
弛緩力合気の世界は広くて深く、しかも無限の高みを持つ世界ですので自分はまだまだ10分の1も理解できていないのではと感じられます。
死ぬまで修行ですね、
平成17年8月28日
7月31日(日)の講習会が終わってすぐに参加者の半数以上の方々から、お礼やご感想などをいただきました。ありがとうございます。いつも2〜3名の方からは確実にいただくのですが、今回は今までより多くいただきました。好評だったようです。
内容を振り返ってみると、去年の講習会をやり始めの頃はあれこれ教えすぎて内容が絞れていないとのことでしたので、徐々に内容を絞って教えておりました。しかし面白味に掛けるような気がして今回からちょっとした応用技を入れて指導いたしましたところ、分かりやすく好評だったようです。
女性がいつもより多く参加(といっても3名ですが)されていたのも雰囲気がやわらいで良かったのかもしれません。(私も女性には、ついつい丁寧に詳しく教えてしまいます(^o^)
)
今回の講習会にも、片手で人間一人を体ごと軽々と持っていってしまうパワーの持ち主が参加されており、間近で見てビックリ致しました。合気系武道の方はパワー(腕力)を安易に否定する方がおられますが、あのくらいあればOKで、生半可な技では全てはじき返してしまうでしょうね。
実際、「合気下げ」の見本で前に出てもらい、私が掴まれた両手を力で押し下げようとしたら逆にはね返されて、私の方が浮き上がって持ち上げられてしまいました(笑)。それで力みを捨てて弛緩力で両手を下げたところ、何とか上手く下げ崩すことができ、ほっとしました。
問題はそのパワーを高齢まで維持できるかという点と、より大きな体格の方の中にはもっと大きなパワーを発揮する方がおられるという点です。この2点を解決できれば、パワーも技のうちです。非力な私には出来ませんけど。
より非力な女性が護身術として使う場合は、やはり平常心とか冷静な判断力が大事ですが、力でない確実な技術の裏付けがあってこそです。確実な技術は繰り返しの訓練によってしか身に付きません。頑張ってください。
弛緩力(変幻自在な伸張力)は、地道な基礎訓練が大事です。コツコツと積み上げてください。確実に変わってきます。
平成17年7月28日
レベルが上がって合気之錬体の体感に変化がありましたので、後進の方の参考にでもなればと思いますので書いておきます。平成17年1月19日の書き込みも参考にしてください。まず体の芯ともいえる部分に弛緩力による刀が備わります。そして力みが抜けることにより肩とミゾオチと腰が落ちます。そして頭が水に浮かんだボールのようにポカリと軽く浮きます。ここまでは以前とほぼ同じですが、何故か肩とミゾオチは落ちるのに胸が浮いてくるのです。そして足裏が床に吸いつく感じがあります。他にもありますが、他は個人差があると思われますのでここまでにしておきます。
これらの感覚は内部感覚(内部弛緩力の働き)により自然と生まれてくる感覚で、作ったものではありません。
それから平成16年12月21日に「空間之合気」のヒントを得たときは、それまでは内へ内へと向かっていた内部弛緩力が突然に反転して外部へ向かおうとしたことからヒントを得たものです。これにより弛緩力の伝達や波及が少しですが可能になりました。
それを弛緩力合気之根幹原理に照らして、さらに発展させようとしているところですが、これはかなり難しいです。合気之錬体レベルが数段と上がらないと無理な感じがします。
ですが合気の研究は私のライフワークですから、あせらず向上進歩したいと思います。まさに興味の尽きない世界です。
平成17年7月24日
7月11日(月)に最低レベルだった私の合気之錬体レベルが一つ上がったようです。今まで様子を見ていたのですが間違いないようです。突然に体が軽くなったように感じられ、スルスルと動けるのです。ただ動いているときはいいのですが、座ったり横になったりするとすぐに物凄い疲労感や眠気を感じてしまい、病気になったのかと勘違いするほどだったのです。それで様子を見ていたのですが、昨日からそういうこともなくなり体の軽さだけがあります。
今の状態になると、以前が如何に力んでいたかということがよく分かります。自分では力みが抜けていると思っていましたがまだまだでした。きっともう一段レベルが上がると又同じことを感じるのでしょう。面白いですね。
平成16年2月22日に「合気の悟り」を得た際には最低レベルに体の飛躍があったのですが、その時は次のレベルに上がるには3年はかかるように感じました。またこの「総本部雑感記」にも書きましたが平成16年12月21日に「空間之合気」のヒントを得たときには、その初歩を体現するのにも5年はかかるように感じたものです。
どうも進化に加速がかかるようです。もちろん、あるレベルでブレーキがかかるのでしょうが不思議な感じです。以前はうまくいったりいかなかったりでモタモタ迷ってばかりで、少しも上手くなった気がしませんでした。
一年前のビデオ映像は今見ると赤面の至りですが、「合気之悟り」を得る前のビデオ映像などは合気錬体会会員の間では笑いものになっています。「この力みかえっているのが有満師範?隣にいるYさんの方が上手くないか?ワッハハハハハ」と大評判?です。
ともかく合気之錬体レベルが上がったおかげで幅と余裕ができました。でもやっと下から2番目のレベルですからたいしたこと無いですね。
平成17年6月6日
6/5(日)の講習会が無事に終了いたしました。今回もですが、様々な顔ぶれでした。
目立ったのは100kg近い体格に加え柔道やムエタイをやりながら講習会巡りをしている方、体格の良さに加えヒットマッスルの非常に発達したおそらく打撃系の方、あきらかな他武道高段者、それに元○○道場生などの方でしょうか。
こういう方々は、もう十分に一般人よりも数倍強いのです。
そういう方々がワザワザ講習費まで払って参加するのは、やはり自分の可能性をもっと引き出してくれる技術を捜し求めているからだと思います。こういう方々に単なる型や小手先の講習などをやっても馬鹿にされ軽くヒネられるだけですし、力技をやってみせても彼らの方が体格も良く力も強いのですから「私にも出来ますよ」と軽々と真似されて笑われる結果になるでしょう。
私はまだまだ未熟ですが、単なる腕力では出来ない世界があることをなんとか納得させることが出来たようです。
講習会終了後には、皆さん、ワザワザご挨拶に来てくださり嬉しかったです。また「強くて努力されている方ほど謙虚なんだな」とあらためて実感した次第です。
平成17年5月17日
あらたな御質問・御連絡で公開してもよさそうなものが3点ありましたので、こちらに参考として書いておきます。(個人的な内容のものは公開は一切控えさせていただきますので安心してお寄せ下さい。)
「今までに合気上げで押さえつけられたことがありますか?」という御質問ですが、幸いにもまだ一度もありません。なぜなら弛緩力(勁力)という腕力とは質の違う力を使う為に、相手の力とはぶつかりにくい為です。その弛緩力をさらにぶつからないように柔らかく使うので、なかなか押さえつけるのは難しいと思います。「本当かな〜?」と思う方には、合気錬体会の講習会や稽古風景はすべてビデオ録画してありますので全て証明できますよ。(^o^)
ただ私より高いレベルの弛緩力(勁力)を使う方なら押さえつけるのは可能かもしれませんが、そういう先生は「弛緩力合気入門」にある私の写真を見れば、私がどのレベルでどういう使い方をしているのか見て取れるので、「しょうがないな〜、有満、もっと鍛錬しろよ!」で勘弁してくださると思います。(^_^?)
そして「合気上げって何?」ともっと知りたい方、詳しくは「上げ手鍛錬法」を御覧下さい。
「重心操作について教えてください。」というご質問ですが、これは合気の基本の一部ですね。相手を自在に動かすときに使いますが、重心操作が出来ていないと相手は動いてくれません。重心操作ってどういうもの?というのが良く分かるのが、触れ合気です。触れ合気が出来れば重心操作が出来てるといえるでしょう。ただ接触点が合気でくっついていないと出来ません。
「弛緩力合気入門」にある合気三人捕りが触れ合気によるものです。私が肩にひっかけている方は、私に重心をとられている為に身動きが出来ず逃げることが出来ないのです。(一見、自分の手を私の肩から離して逃げればよさそうに見えますね。)あと二人も私に合気で掌をくっつけられた上に、重心を奪われて下げられた為に動けなくなってしまったのです。
最初は相手にしっかりと掴ませて練習するとよいです。くっつけるのはかなり難しいですから。
最後は「合気上げがビデオ「合気道 極意の秘密 映像版」を見て、真似してやったら簡単に出来ました。」という御連絡が有りました。メールの内容からかなり若い方だと思われるのですが、年齢の確認はしていませんので不明です。これはスポーツ競技でも誰か一人が出来るようになると、それを見た人の中から次々とできる人が増えていくのと同じです。できるイメージが素直に受け入れられた為に可能になったと思われます。頑張ってください。
平成17年3月31日
吉丸慶雪先生の新著「合気道 極意の秘密」が発売されたことで、するどい御質問がありました。「合気は、物(たとえば人形など)にも効くのでしょうか?」という御質問だったのですが、「合気は弛緩力を使って気を合わせる体の技術ことであり、これによって相手の力と重さは無効化される。」ということですから、もちろん効きません。合気は対人間用の技術で、いわゆる腕力技ではありませんから物には作用いたしません。
当たり前なのですが、合気は万能ではありません。またついでに言えば、合気が出来るからといって強いとかいうこともありません。
つまり合気も技術である以上、すばらしい長所もあれば短所もあるということです。
もし合気が物にも作用するとすれば、合気を習得すれば高齢でも死ぬまで日常生活に困ることは無くなるということになり、それは世の中をひっくり返すようなすばらしい技術ということになるのですが残念ながらそんなことはありません。
弛緩力と合気の長所と短所を知った上で、その用法を精錬するということが大事です。弛緩力合気の世界は、入り口は狭くても入れば広く、深く、そしてどこまでも高く、果てのない世界です。一生が勉強です。すばらしいですよ。
平成17年3月26日
吉丸慶雪先生の新著「合気道 極意の秘密」がベースボール・マガジン社から発売されましたが、弛緩力とはどういうものでどういう感じなのか?その理解の一助となる素晴しいホームページを講習会の参加者の方から御紹介いただきました。
それはこちらです。http://www.warabi.ne.jp/~ks-music/index.html
このK's MUSIC ドラム人間科学のホームページで紹介されている演奏動画がまさに弛緩力(力まない伸筋制御運動)です。ぜひスピーカーをオンにされて御覧下さい。この柔らかく変幻自在に速緩・硬軟・強弱・大小と変化する角の無いすべらかな動きこそ、まさに弛緩力の特徴です。その動きと音で風景や人の心・感情の動きまで表現することが可能だと思われます。音による弛緩力の表現と言って良いですし、武術と違ってその変化が分かりやすく理解しやすいと思います。
音痴の私にはうらやましい限りです。御紹介いただかなければ、とても音楽演奏における弛緩力には気がつかなかったと思います。ほかにはゴルフ・野球のスイング、日舞・歌舞伎などは弛緩力だなというのは分かりやすいと思います。
武術的弛緩力との主な違いは、筋肉の振幅と相手に応じて変化するという2点だと思います。ぜひ参考にしてください。
平成17年3月19日
吉丸慶雪先生の新著「合気道 極意の秘密」により、史上初めて合気の理論的解明がなされます。これにより神秘的に語られてきた合気が、実は弛緩力さえ会得し鍛錬すれば誰にでもできるものだと知られるのではないでしょうか?ただ弛緩力を理解できない方(特に初級者)が、表面的な浅い解釈により間違った理解の方向に進むのではないかと心配です。
まず初級者は腕弛緩力の習得に励むべきです。合気系武道の特徴は、初心者に最初に掌をパッと開くことを教え、次に掌を開いたまま腕を使うことを教えます。これが弛緩力(呼吸力・勁力)の養成なのですが、あまり理解されていないようです。
護身術や武術だったら(実用を考えれば)強い拳の作り方から教え、次にどうやったら強く殴れるかと教えれば良さそうなのに、何故にわざわざ掌を開かせるのか?皆さんも考えてみてください。
平成17年3月3日
吉丸慶雪先生の新著「合気道 極意の秘密」の発売がやっと確定いたしました。予価は2千円だそうです。 安すぎますね!極意満載で、しかもご病気の体をおして、あんなにご苦労されたのに。
その内容は「合気錬体NEWS」に目次が載っていますので、ぜひ御覧下さい。
思い起こせば昨年の2月22日に入院中の吉丸慶雪先生をお見舞いにうかがった際に、もし「合気之伝法」を受けることができなければ、今もきっと合気のアの字も分からず腕力に頼って「押したり引いたり捻ったり」して「なんて難しいんだ。」なんて悩んでいたのではないでしょうか?
先日の2月27日(日)にも「上げ手と合気体験講習会」が行われました。かなり腕力や腰の力の強い方が何名か来ておられましたが、試しに講習生全員に力の強い人に両手を持ってもらい頑張らせて「合気下げ」をやってみてもらうと、やはり力では上手くいかないようです。
また講習生の中に合気道経験者で手首の関節が柔軟でそれでいて強靭な方が来ておられたので、申し訳なかったのですが受けをやってもらい講習生全員に「二ヶ条逆」を掛けさせていただいたのですが、やはり腕力でやるのでは上手くいきません。ケロリとされていました。
今回から体験を多く入れた形にしたのですが、概ね好評だったようです。何名かの方がすぐに再受講を申し込まれてきましたから。また感想も多くいただきました。ありがとうございます。復習用のビデオを希望される方は少々、お待ち下さい。多忙な為、遅くなりますが必ずご連絡いたします。
私の使う合気は、凡人の合気です、しかも未熟な上にヘタクソです。そして、まだまだ発展途上の合気です。
凡人の合気とはどういうことかというと、私はどちらかといえば運動音痴で走れば遅いし、すぐに息切れします。情けないことには運動神経が鈍い上に反射神経も並以下です。見栄を張ってもしょうがないので正直に申し上げれば、運動に関してはごく普通の人(凡人)以下です。
大東流の師範をやってはいますが、本業は別にあって一社会人として真面目に働いていますし一応の良識を持っているつもりです。つまり大多数の皆さんと一緒です。ただ合気に関して皆さんと1点だけ違うのは吉丸慶雪先生の御指導により、弛緩力と合気を理解しているということです。
こんな凡人な私でも弛緩力と合気を真似事程度とはいえ使うことができるのです。ですから弛緩力を訓練し合気が理解できれば、誰にでもできます。
生まれついての天才、幼少の頃から鍛錬を重ねた達人、魔法のような術を使う名人、素晴しい体格とパワー・身体能力を兼ね備えた超人、これらの方々が軽々と使う技は憧れの的ではあっても普通の人ではとても真似することはできません。ちょっと考えてみれば分かりますよね。
同じ才能や環境がなければ無理なのです。とても教わったからといっても普通の人にはできないでしょう。
合気錬体会の「弛緩力合気」には、一見不思議にはみえても理があります。凡人の私にできるのです、理が分かれば誰にでもできます。ぜひ講習会に参加されて「弛緩力合気」を体験し実践してみてください。少しずつ変化してくるのが分かると思います。
平成17年2月9日
2月3日の書込みの補足をいたします。
日常生活における弛緩力の効用についてですが、無駄な力みを捨てて弛緩力を会得すると、まず日常生活において疲れにくくなり効率がすごく良くなります。
私は疲れにくくなったせいか?以前より忙しいのに睡眠時間が減りました。(^−^)
そして無理な力みを使わなくなりますから、2Kgのものを2Kgとして持つようになります。以前は2Kgのものを5Kg以上の力で持っていたようなのです。
そして肩に力を入れず力まなければ、全身の統一された力を使うことができますので軽々と動くことができますし、反応が良くなる為に怪我や故障も少なくなります。
ただ力んでしまうと途端に統一が崩れてしまって、それが自分にはね返ってきますので、それで今回の講習会でダメージを受けたようなのです。
そしてそのダメージは段々、大きくなってきているようです。
どうも不自然なことがやれない体になってきているようですね。
太っているのは、たしかに運動不足と食べすぎですので何とかしなければと思っております。(反省)
平成17年2月3日
先日、1月30日(日)に「上げ手と合気体験講習会」が行われましたが、ちょっと変わったことがありましたので書いておきます。
私はいつも弛緩力と腕力の違いを説明するのに悪い見本として、わざと肩に力を入れ全身力んで押したり引いたりして力技をやって見せるのですが、この日の講習生は力の強い方が多く、ことごとくはね返されてしまいました。これは悪い見本としてやっているのですからそれでいいのですが、いつもより多く何回かやったところで突然、息があがりゼーゼーと息が苦しく異常にスタミナを消耗して、体がバラバラになって鉛が入っているかのように全身が重くなってしまいました。
私は「普段鍛えていないから、日頃の運動不足で息があがってしまった。」と思ったのですが、どうもそれだけではなく1年前までは普通にやっていた「肩に力を入れ全身を力む」ということが、今の私にはかなり不自然な動作の為か?身体に異常に負担がくるようなのです。腕力も以前と比べると、かなり非力になってしまったようです。
そしてその後にやった力みの無い合気技では、息も普通に戻り体も軽くなって動くことができましたから、やはり力むという行為が不自然なことなのだと思います。(その後、帰宅してから力んだ疲労感がどっと出て2日ほど尾を引きました。)
せっかく講習会に来てくださったのだから、何とか腕力と弛緩力の差を分かってもらって、できたら持って帰ってもらおうとしてついつい熱が入り一生懸命に教えすぎてしまうのがよくないのでしょうか?でも私は、弛緩力の素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいのです。
ですから次回の講習会からは、この点を工夫して自分にも負担が来過ぎないように教授していきたいと思います。
そして講習会の参加者の方々は、うまく弛緩力を理解して持って帰ってくださったのでしょうか?毎度のことながら私自身が未熟な為、伝えたいことの半分も上手く説明できなかったような気もします。
ここに補足させていただきますと、いわゆる腕力に重点をおいた鍛錬では、いくらやっても質的な変化が起こらず、いずれは年齢が上がるにしたがって能力は落ちてきます。私は体格・力・年齢・性別といった壁を乗り越えることができるのは、弛緩力(力まない伸張力)しかないと確信しています。
いくら鍛えても同質の力同士ではぶつかってしまい、技を掛けるのは難しくなってしまいます。つまり他の人とは違う質の力を使用して初めて、無理なく技を掛けることが可能になるのです。講習会で説明いたしました弛緩力の使い方を参考に、色々と工夫してみてください。きっと何か得るものがあると思います。
そして弛緩力が分からなければ、合気に進むことができません。弛緩力=合気ではありませんが、弛緩力を獲得できなければ合気をつかむことは非常に難しくなるでしょう。もし弛緩力が関係ないということであれば、身体能力の高い方が見たり聞いたりするだけで再現可能なはずですが、そういう話は聞きませんし、第一に運動音痴の部類に入る私などは真似事すらできないでしょう。
私は大東流史上初めて、ただの人が師範になったという非常に稀な例だと自分でも思っています。平凡な人間が、吉丸慶雪総師範の御指導により、たまたま弛緩力と合気を理解したというだけなのですから、偉大な先人の先生方はきっとあきれ返っておられることと思います。(それとも心配されておられるのかも?)
ですから私は「弛緩力マスター」などという肩書きを名乗っております。この意味は、「弛緩力の理論と見本を示せて、教えることができちゃうよ」という軽い意味で、「弛緩力インストラクター第一号」でも良かったのですがちょっと長いですからね。
話が変わりますが、もし皆さんが英会話を学ぼうとすれば、普通、学校に通うか又は独学から始めますよね。それで、もし壁に当たったらどうします?色々な方法はあるとは思いますが、話せるようになった人から勉強のコツを聞きたいと思いませんか?
弛緩力(呼吸力・勁力)も同じです。できるようになった人にコツを聞きに来てくだされば良いのです。喜んでお教えいたします。
私は講習会の参加者か合気講座(教室)の方の中から、いずれあっという間に私を追い越していく方が出てくることを確信しております。
平成17年1月26日
単に開いただけの掌は合気といえません。それは何故か?というと、掌が活きていないからです。
剣術であればその剣先が活きていなければ本当に切ることができませんし、書道や絵画であればその線の一本一本が活きて描かれていなければならないのと同様に、合気はその開いた掌の指先の一本一本に弛緩力が効いて活きていなくてはなりません。
活きた掌が開けて、はじめて合気が使えるようになるのです。
これは合気の基本ですが、ぜひ研究してみてください。
平成17年1月20日
合気は、腕力とかスピードとかは一切関係ありません。ゆっくりやっても掛かるのが、本当です。また力の強い者や体格の大きい者はやりにくいとか、そういったこともありません。力まないこと、これが一番大事なことです。
まず弛緩力を獲得したら、その用法とタイミング・押し引きに十分気をつけて稽古する。タイミングというのは必要なときに必要な動きをするということです。そして次に「合気の角度」ということを研究する。「合気の角度」というのはかなり大事なことだと思われるのですが、あまり話題になりませんね。「合気の角度」と「間合い」を研究していると、段々いろいろなことが分かってきます。
平成17年1月19日
合気之錬体とは、どういう状態なのか?剛柔之弛緩力により、体がどう変わってくるのか?自分の修行は正しい方向に進んでいるのか?このような疑問をお持ちの方々の御参考に、少し書いてみます。
現在の私に言えることは、まず全身の力みが抜けることにより肩と胸と腰の3点が落ちます。そして頭は逆に軽く浮いた感じになります。これらはそういうイメージなどではなく、明確に実感としてハッキリと分かります。以前であったら絶対に無かった感覚です。これらの感覚は外見から来るものではなく、体の内側から自然に来る感覚です。外見からつくろうとしても駄目です、力んでしまうことになりますし、自然とそうなるということが大事です。
そして体に一本の刀が備わります。(私のはナマクラなんですが、無いよりはマシ?)
大東流は剣術の体捌きが基本となる為に、刀という形態をとるようです。それが内部感覚としてハッキリと分かります。しつこいようですが、あいまいなイメージなどではありません。
上記の感覚ができてくれば、正しい修行に進んでいるといえます。細かいことを言えば色々あるのですが、その方の体質や感性により違いが生じる為、共通して言えることは以上だと思います。皆さん、頑張ってください。
平成16年12月31日
弛緩力合気が分かると迷いがなくなります。人生は迷い事だらけですが、こと合気に関しては「あっ、これだ。」と不思議と迷わなくなります。もちろん分からないことは数多くありますが、考え続けていますと弛緩力合気之根本原理に導かれてピタリと答えに行きつきます。不思議ですね〜。
根本原理というのはごく簡単で単純なものなのですが、これから発展して段々複雑になっていくのです。
そして弛緩力を会得しないと合気には絶対にたどりつけませんが、弛緩力イコール合気ではありません。合気とは、いわゆる力とは違う技術なのです(「気」とか「意識」とかとも違います)。合気之錬体となればすべての動き(技)に弛緩力を伴うようになるために抵抗なく技が掛かりますが、これもレベルがあります。もちろん私は最低レベルです。
たとえば女性や子供でも普通の弛緩力を使うことができるようになれば、そのタイミングと押し引きだけで大の大人を軽々と投げることが可能です。ただこれは合気の一部ではありますが合気そのものではありません。
合気の世界というのは人間の可能性を開発するものです。だから多くの人を魅了してやまないのだと思います。合気を始めるきっかけというのは健康の為とか、護身の為とか、修養の為とか、合気の達人にあこがれてとか、色々でしょうが長年やっている人というのは合気のもつ可能性になんとなく気がついているのだと思います。
単に健康の為でしたらエアロビクスの方が良いと思いますし、護身の為でしたら何か小型の武器を身につけておくとか、修養の為でしたら宗教をやるとか、単に強くなりたいのであれば格闘技をやるとか武器をもつとかした方が良いと思いますが、それ以上のものが合気にあると感じておられるのでしょう。
合気の技には、芸術「美」があります。人を魅了する「華」があります。
未熟な私が言っても説得力に欠けるとは思いますが、一生をかけてやるだけの価値はあると思います。肉体的にも精神的にも変わってきますし、そしてそれを一生楽しむことができます。
技をかけられるほうも、弛緩力の剛柔の変化により受ける感じは様々ですが、決して腕力や痛みで強引にやられたときに感じる不快感などはありません。かえって驚きと爽快感(?)があります。不思議です。
ぜひ講習会などに参加して、弛緩力合気を体験してみてください。
私のような凡人でもできるのです。誰にでもできます。ただ自分でできなくしているのです。自分の可能性を信じて素直に努力すれば、そしてそれが正しい方法であれば必ず道は開けます。正しい方法に基づいて正しく鍛えれば、身体本来の能力が発現します。
特別な体と才能を持った人が特別な能力と力をつかって発揮する術では、特別な人しか習得できません。錬体会の弛緩力合気は、ごく普通の人が努力して身につけられる技術です。不思議には見えても、そこには理があります。
平成16年12月21日
「弛緩力合気の世界は素晴らしい」と実感していましたが、今日、長年疑問に思っていたことが解けて思わず小躍りしたくなってしまいました。そうですね、まさに通りすがりの会う人、会う人に「これはね、こういうことだったんだよ。」と相手の迷惑を顧みずに話してあげたくなるような気分でした。でも本当にやったら、気持ち悪がられるでしょうね(^o^)。
今年の2月末に「合気の悟り」を得たときには、まず驚きの方が先で、あとから喜びと確信が湧いてくるという感じでしたが、今回は「やったー」と超難解なパズルを解いたような時のような喜びでした。思わず仕事中にもかかわらず一人ニヤニヤしてしまいました。研究者が問題点を解決したときは、きっとこんな喜びなんでしょうね。
故佐川幸義先生もこんな時は、一人でニヤリとされたんでしょうか?
今年の2月まではただの凡人だったのに、吉丸慶雪先生のご指導で「合気の悟り」を得て以降、小さな疑問は多数氷解していましたが今回のように大きな疑問が解けたのは初めてでした。嬉しいですね〜、もちろん体現できるまでは時間が必要ですが、可能になったということだけで今は満足です。
すでに体現されていらしゃる先生方(全国に私などよりも上手い達人の先生方が多数おられるのは十分知っております)にとっては、今頃そんな低レベルのものをと思われるかもしれませんが、私のような凡人でもこのように変身していけるということが大事なんです。後進の皆さんも早く「弛緩力合気の世界」に入ってきてください。私は「おめでとう、弛緩力合気の世界にようこそ」と祝福したいと思います。
この弛緩力合気の世界は、単に強いとか弱いとか、技が効くとか効かないとかいう様なことではなく、「弛緩力による合気という武の芸術」といえるでしょうね。人間の可能性を追求するものです。私はますますおもしろくなってきました。
そして私はやりませんが、書や絵画等の芸術と非常に共通性を感じます。昔の武人が書や絵画を好んだのは、こういう理由からではないでしょうか。
平成16年11月28日
秘伝は難しい技術と思っている方がいるかもしれません。もちろん、そういう難しいものもありますが、実は違います。ほとんどの秘伝は簡単でシンプルなものです、でも教わらないとまず気がつかないことです。そして教わり訓練によって身につけると、その簡単なことが効果抜群でハッキリと違いがでます。だから秘伝なんですよ。
合気錬体メソッドには、そういう秘伝が数多くあります。
それらの秘伝は「気」とか「意識」とかいったような精神的なものではなく、純粋に体術としての秘伝ということです。佐川先生も「体の問題である。筋肉の作用による。合気之錬体にならなければならない。」とハッキリと述べておられます。
おもしろいもので体と技ができてきて徐々に向上すると、技がきくのが分かり自信がついてくるので精神力も強化されるようです。
記録や勝敗を争うスポーツ競技等だと選手生命はだいたい20代で終わり、そうするとそれまでに良い結果を残せた選手はコーチや監督になれて残れますが、他の選手のほとんどはソノ競技がどんなに好きでも引退して、あとは時おり趣味として楽しむことになります。
でも武術や護身術には引退はありませんね、死ぬまでが修行です。そして柔よく剛を制す、経験とともに技量も向上、年をとっても若い人達に範を示せる。というのが理想です。
でも現実にはスポーツ競技と同じ、20代がピークであとは年齢が上がるとともに力・スピードともに落ちる一方で、経験とともに自信をふかめるなんて夢また夢。いつの間にか、若い人達には相手にしてもらえなくなっている。これはさびしいですね。
「そんなことは関係ない、わが道を行く」という方は別として、ほとんどの方はなんとかしたいとお考えではありませんか?
名人といわれた武田惣角先生や植芝盛平先生や佐川幸義先生ほどにはなれなくても、せめて若い人達に範を示せるようになりたい。年齢が上がってもせめて今の強さをキープしたい。今はたいしたことはないが、経験とともに向上したい。等など・・・
合気錬体メソッドには、これらの答えがあります。真摯にとりくめば、必ず変わってきます。まず弛緩力を会得することです。
弛緩力を会得すると力や体格・年齢といったものの壁を乗り越えることができますよ。これはとても素晴らしいことだと思いませんか?そして技法と合気之術を学べば経験とともに技量も向上します。これも本当です。
同様に30代、40代から初めて武術や護身術をやってみたいとお考えの方、合気錬体会でやってみませんか?
合気錬体会の技法は、大人の護身術です。たとえばちょっとしたお酒の席でのイザコザで、相手が悪かったとしても殴ってけがをさせた場合、今の職や地位を失うかもしれません。もちろん、黙って殴られるのもいやですよね。
こういうときに自分もケガをせず相手も傷つけずに制する技法が合気錬体会にはあります。ちょっとしたコツを覚えれば簡単にできますから、安心ですよ。そして不思議なもので、自信満々に堂々としていると相手も手を出しづらくなるものなのです。
また緊急に不当な暴力にさらされた場合でも、護身術として素手はもちろん、手近に棒でも傘でもあれば手の延長として自在に使いこなして身を守ることができます。なぜなら手さばき、体さばき、足さばきが武器術(剣術や棒術など)のそれと一致しているからです。武術としての特徴ですね。おもしろいですよ。
それに一生を通してやることができるのでマイペースで進められますし、日常生活の中にちょっとした工夫を入れて自然に鍛えるのが大事です。たとえば歩き方、物の持ち方、目の配り方などです。でも街中を爪先立ちで歩いたりしないでくださいね。それじゃ、あやしい人になってしまいますからね(^−^)。
おもしろいことに人は力だけでは倒れないようです。お互いに本気で頑張ってみるとソレが分かります。いつも頑張ったんでは稽古になりませんし、力む癖がついてしまうとマズイのですが、10回に1回位は頑張ってもらって本当に効いているのか、確認した方が研究できて向上します。
できていないことをできているとして流してしまう稽古では進歩しません。つねに確認し研究・工夫することが大事です。
そして弛緩力合気の入り口というのは狭いのですが、入ってしまうととんでもなく広く奥深いものです。そしておもしろく、興味がつきないそんな世界です。ああ、こういうことだったのか、どうしてこんなことに気がつかなかったのだろう、こうした方がよい、などと学ばせてくれる世界です。一生が勉強ですね。
「弛緩力(絶対に力まない伸筋制御運動)」について
合気を使えるようになる為には、弛緩力(勁力・呼吸力)の体得が必須です。
では弛緩力とは、どういったものをいうのでしょうか。
普通、人間は体を使う際に「屈筋の力感覚」に頼っています。物を持ったり運んだりする時の感覚といえば分かるでしょうか。これは小さいときから培ってきた感覚で簡単には変えることができません。なぜなら大多数の人はこの感覚に頼って生活しているからです。この「屈筋の力感覚」による動きをいわゆる「人間動作」とか「生活動作」と言います。
ところが特別な技能を要する職業やスポーツ・芸能・武術等で、極少数ですが年齢・性別・体格・力等に関係なくすばらしい技術を発揮される方がいます。この方々が使っているのが「伸筋の力感覚」による動きであり「弛緩力」といいます。
傍目で見ていると力まず簡単そうにやっているのですが、出来上がるとすばらしい作品であり、正確で効率的な仕事内容であり、見るものを魅了する立振舞いやパフォーマンスであり、一見不思議とも見える技であったりします。このように弛緩力は技にともなう力であり、その体得された方の目的や性格・体質により現れ方が違います。それを風格と言い表したりします。
この弛緩力(勁力・呼吸力)の実態は、力みのない伸張力(伸筋制御運動による力)です。力むと使えないので、自然とよりリラックスしようとします。よく「もっと肩の力を抜け」「リラックスしろ」等と指導されるのは、この為です。
できる人から見れば、「もっと楽に軽くやってもできるのに、どうして力むんだ?」ということになります。できない人にとっては、「これ以上、力を抜いたらうまく動けない、できない」「自分では力を抜いているつもりなのに、どこが悪いんだ」等と感じます。これらは「屈筋の力感覚」と「伸筋の力感覚」の差があるからなのです。認識の差と言っていいでしょう。
この伸筋制御運動には屈筋の弛緩(脱力ではない)が第一条件となりますので、吉丸慶雪先生は弛緩力と名付けました。
そして弛緩力には、剛・柔があります。剛と柔の弛緩力が矛盾無く、ピタリと一致して体得されなくてはなりません。そして剛・柔の表現により、また風格が変わってきます。
だから一流の同じ師匠について最初は師匠の真似から同じように始めても、その優秀な弟子のAとBという弟子ではまた風格が違ってきます。そして一流になればなるほど、師匠とAとBの風格も三者三様に違ってきます。特に芸能の世界では、自分らしさが出てはじめて一人前と認められます。
ではその合気武術的体得方法はと言うと、伸張力(弛緩力)訓練法を十分積んだ上で、腕力の使い方(屈筋の力感覚)と弛緩力(伸筋の力感覚)の使い方の差を認識すれば良いのです。その詳細は、合気講座(教室)や講習会にて教授いたします。
実際に手を取らないと習得は難しいかもしれません。普通はその弛緩力の感覚や感触がわからないからです。
伸張力(弛緩力)訓練法につきましては、吉丸慶雪先生の著書に詳細に解説してあります。
簡単にですが、「上げ手講習会」ビデオの中でも触れています。
総本部回想記 ホームページを御覧の皆さん、こんにちは。 そして2月は忙しかったので、第2日曜日には出席することできず第4日曜日(2/22)のことです。朝から忙しくバタバタして、いつもなら昼の12時には出発しているのに40分ほど遅くなってしまいました。(前日から準備しておくのでこんなこと普段なら絶対ありえないのですが、なぜかこの日だけ遅くなったのです。)それで吉丸先生に遅刻することを連絡しておこうと思い、先日教えていただいた携帯電話へ電話をかけたのでした。 それは動きによる「弛緩力の極意」であり、佐川先生の「合気之円和極秘伝」であったのです。私は非常に驚きましたが、同時に膨大な何か情報のようなものが私に流れ込んできました。吉丸先生の長い武術生活におけるエッセンスのように感じ取れました。 その後、退院されるまで日曜日の度に先生の病室にお邪魔して合気の話をお伺いいたしましたが、その度に私の中の「剛柔之弛緩力合気の極意」が矛盾無くピタリと固まりゆるぎない自信となってくるのです。「間違いない」という確信に変わりつつありました。 先生の退院後も私は稽古には参加せず、体調がすぐれないのに申し訳ないなと思いつつも図々しく日曜日の度に先生の御自宅に押しかけてお話を伺いました。それが私の血となり肉となるのが分かっていましたから。 平成16年10月27日
実はこの頃、上達講座の指導者が錬体会の会員の大半をひき連れて独立してしまうという事態になっていました。私は稽古には参加せず先生の御自宅を訪問することしかしてなかったし先生も何も教えてくださらないので、その辺の事情は今も良く分かりません。 平成16年10月29日 急遽、吉丸先生は今生にご縁のあった全員の方に「合気初秘伝」を5月中は無料で教えたいと考え、その連絡のハガキを一生懸命に書かれたそうです。何故なら「合気初秘伝」さえ会得できれば時間はかかっても必ず合気は分かってくるからという理由からでした。しかし講師役の高弟の方の都合でゴールデンウィーク中の4日間(5/2〜5/5)だけに変更を余儀なくされてしまいました。 結局、4時間の講習のうち、その講師役の方が一元講習を3時間30分受け持ち、最後に30分だけ私が合気初秘伝を伝法することに決まりました。何事も無く進行し、いよいよ私の出番になりました。 私は、受講生も何処の馬の骨だか分からない奴に習うのは不安だろうと思い、受講生の中で一番体格がよく力も強い方に出てもらって座捕りで「上げ手」をやることにしました。この方は一元の講習中もちょっと力を入れると誰も技を掛けることができずにいた方です。本人もそれを良く知っていて講習中は、相手に合わせてあげていました。 平成16年11月1日 相手の方はちょっと驚いた顔をされて、もう一度確かめるように今度は腰の力も入れ全力で押さえてきましたが同じことです。まだ余裕があったので相手の方に今度は立ち上がって体重を掛けて力一杯に押さえるようにお願いいたしました。それでも同じだったのです。相手が軽くなり抵抗を失ってしまうので軽く上げることができたのです。それでますます自信を深めた私は自分も立ち上がり、今度は立ち技で力一杯頑張らせて色々投げてみたりしたのです。その後に、余裕を持って「合気初秘伝」の伝法を行い無事に終わりました。 その日の伝法会が終って何名かの門弟が先生宅に集まり、「無事終了」の報告を済ませました。その時に、講師役だった高弟の方が「明日からは有満さんに全部、やってもらいたい。」と言い出しました。私は即座に「私はまだ下手なので、長くやるとどうやっているかが分かってしまいます。ですから今日と同じでお願いします。」と答えました。先生はちょっとビックリされたようですが、「今日と同じにやった方が良い。」と言ってくださいました。 ところがその翌日に、その高弟の方が「やりたくない」と講師役を放棄してしまったのです。しかたなく私が残り3日間をやり遂げました。嬉しかったのは終わったときに何名かの受講生の方が私のところに来てくださり、「今までいくつかの講習会に出たけれど、こんな有意義な講習は初めてです。」とか「何十回分の講習の価値がありました。」と言って下さったことです。無料伝法会だったのに私は講師なんて初めてだったので、色々丁寧に弛緩力と合気について教えすぎてしまったようです。(笑) 平成16年11月2日 この連休中の伝法会を無事にやり遂げたことで、吉丸慶雪先生の私への信頼度は上がったようでした。でもやはり合気については半信半疑の御様子でしたので、後日、私の技をビデオに撮ってお見せすると、ようやく信じてくださり大変喜んで下さいました。(合気をとる難しさを先生はよくご存知の為、なかなか信じてもらえなかったのです。) それ以来、吉丸慶雪先生の代理を務めさせて頂いておりますが、私としては普通の人間がたまたま運良く「弛緩力」と「合気」を体得したというだけで正直な話、師範とか武術家というような意識はありません。あえて言えば「弛緩力インストラクター」とか「合気アドバイザー」、または「弛緩力マスター」という方が合っているようです。(そうすると吉丸慶雪先生は弛緩力プロフェッサー?) 一見不思議とも見える技をお見せする場合もありますが、できるようになって分かったのですが実は簡単なんです。 平成16年11月3日 弛緩力の実体は「力まない伸張力」ですから、性別、年齢、体格、腕力に関係なく誰にでもできます。 弛緩力はその使用目的や体質・性格によって、本質は同じでもその現れ方が若干異なります。 これから合気錬体会では佐川派大東流合気柔術の数々の技法の中から、護身術に使えて比較的怪我などの危険性の低い合気技と合気之術を精選して弛緩力習得の「合気錬体メソッド」として発表することを考えています。「合気錬体メソッド」は年齢・性別・体格・腕力等に関係なく弛緩力を習得する為のシステムです。 「合気錬体メソッド」は修練すれば、いざというときの護身術にも使えて、かつ身体能力の開発にも使えるという一石二鳥のシステムなのです。 平成16年11月7日 |
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